精神分裂病時代からの覚悟する人生体験談

私の病が、世の中で精神分裂病としてまかり通っていた時代、それは私が二十五歳の頃、虫垂炎に見舞われた時の体験です。春を迎えた四月の深夜二時、腹部に胃痙攣の様な激しい痛みを覚え、あまりの激痛で、呻き声を出しながらベットで苦しんでいた時、ただ事ではないと見かねた両親が、私を自家用車に乗せ、深夜診療をやっている某病院に送られました。運転してくれた父は仕事のためその足で仕事場に向かい、そのあと母と二人になり、取り敢えず点滴と筋肉注射をされてベットに横たわりました。しかし、私の精神病名を母が医療従事者に告げた途端、彼らの態度が一変しました。まるで私を排泄物を見下げる様な表情となり、そのあと四時間、点滴と注射をするだけで、そのまま事実上放置されました。朝になって外科医,内科医が合わせて四、五人程度でしょうか、眠そうに目をこすり、嫌そうに面倒くさそうに仏頂面をしながらやって来て、激しい痛みで意識が朦朧とする私を取り囲んで、「こんな奴の手術なんて、出来ねえから」と吐き捨て、何の治療の手立てもないまま、その場を立ち去りました。その有様に直面し、怒り心頭となった母が、「何なのあんた達は!治療する気がないなら救急車呼びなさい!」と抗議をしてくれて、結局八千円余りの治療費(?)を払わされ、間もなくやって来た救急車に搬送され、まともな草加市立病院に到着しました。その医療機関の看護師さん達は、この病名を告げられた時、多少驚きはしたものの軽蔑せず、適切に対処をしてくれました。レントゲンと採血が速やかに処置され、即、緊急手術となりました。三時間後無事に盲腸を摘出し、その場で肉まん位に腫れあがった臓器を見せられました。その後あまりにも重症な状態だったため、先生方は癌を疑い、入院期間が大幅に延長され、数え切れない程の検査を繰り返し受けて、入院中食事は一切取らせず、栄養点滴のみのまま数週間回復を待って、漸く無事に退院する事が出来ました。正直、この病院で私の手術をして下さった女性外科医様がいなかったら、当の昔に、この世に私は存在しなかったでしょう。偏見と誤解と人格否定、そして差別。二〇〇二年に日本精神神経学会が統合失調症と名称を変更するまで、受けた屈辱は、他に幾多にも見舞われました。これからも善悪を超えた終わる事のない日常の、予測できない現実社会で、私は精神障がい者として生きていく運命があります。残された人生を全うする為、私は闘い続けます。

投稿者:道端の黒猫