「こころの元気+」2013年6月号(76号)「おこまりですか? では他の人に聞いてみましょう!」より
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Q 暴力的な父親の介護と私の自立について
私は、躁うつ病(双極性障害)、解離性障害をもつ43歳の女性です。
私は、小さい頃から父親の暴力におびえていました。
「働いて、車の免許をとれば父もやさしくなるのかな?」と思いましたが、少しでも口答えすると、父は「逆らうな」と私をどなるし、けっとばします。
そんな、私に暴力をふるってばかりいた父も、10年ほど前から心臓の病気で働けなくなりました。
また、叔父(父の弟)が亡くなって、笑顔が少なくなり、ずっと寝てばかりいるため、生活習慣病になってしまいました。
一緒に住む者として父を心配し、病院に連れて行っても、納得いく治療を受けられないと私にやつあたりします。
食事のときに普通のコミュニケーションのつもりで「塩かけすぎ」と言っても、「うるせえ!」と逆切れされてしまいます。
もう、家の中がまるでハチの巣をつついたような状態です。
父親といると具合が悪くなってしまうので、私は母親に「疲れた。家を出たい」と、しばしば話します。
父親は、デイサービスも、ケアマネージャーも大きらいです。
これから父に介護が必要になったら、誰に頼ればよいのでしょうか。
そして、私はこのまま自立をしてよいのか迷っています。
A その気になれば
/華月さん(静岡県)
こんにちは。私も相談者さんと同じく独身の43歳の女性です。
私も、今現在は両親と3人で暮らしていますが、いずれひとり暮らしをと思っています。
ご相談者さんは、小さい頃から父親との関係でつらい思いをたくさんされてこられたのですね。
それでも現在も父親に気をつかい続けられている、立派なことだと思います。
私は、相談者さんも、もう自立した生活をしてもいいのではないかと思います。
相談者さんの病気のためにも、もう少し自由な環境で生活したほうがいいように思いますし、お父さんも、もっとまわりを見るべきではないかと思います。
一読させていただいた限りでは、お父さんはわがままを言って甘えているように思えます。
その気になれば、ホームヘルプサービスなど利用できるサービスはいくつもあると思います。
人間は、歳をとると、どんどん頑固になっていきます。
荒療治をするのは早いほうがいいと思います。
まず、相談者さんが独立した生活を始める、そしてお父さんが公的なサービスを受けることを提案いたします。
たしかに第三者はきびしいことを言うと思います。
けれどそれは公平な意見ではないかと思います。
新たな生活を始めるにあたっては、お父さんがいろいろと言うかもしれませんが、これもケアマネージャーさんなどに入ってもらい、うまく事が運べるよう根回しをしておきましょう。
A お父さんはさびしいのでは?
/上原博史さん(大阪府)
お父さんの心情を想像してみると、たぶんすごくさびしいのではないでしょうか?
私は一昨年、父を胃ガンで亡くしました。
病院に入院してからは、母が身の回りの世話をしましたが、私は面会にも出かけませんでした。
父の最期になっても会話もあまりしませんでした。
しかし、父が死んでから半年ぐらい経つと、はげしく後悔の念に苛まれました。
お父さんの暴力については話がややこしくなるので、とりあえず横に置いておきます。
また介護サービスについても、あえてスルーします。
家族が介護できなくなれば選択の余地がなくなり、介護保険のサービスを利用するしかないからです。
質問内容を読むと、とりあえずひとり暮らしが目標なのでしょうが、親の介護と自立はまったく別の問題だと思います。
介護をしていても精神的に独立することはできるのではないでしょうか。
今回の「おこまりですか?」コーナーの質問内容を読んで、一冊の書物を思い出しました。
それは田口ランディさんの『パピヨン死と看取りへの旅』(角川文庫)という本です。
ノンフィクションなのですが、精神科医であるエリザベス・キューブラー・ロスの言葉が引用され、死に逝く人を看取るとはどういうことなのか考えさせられました。
看取りというできごとを経験することによって、自分自身もまた成長できるのだと思います。
A 接し方を変えてみては?
/髙見青磁さん(千葉県)
結論から言いますと、質問者さまの人生は質問者さまのものでありますので、自立しようと思うのであれば自立したほうがいいと思います。
幼少期からお父さまの暴力によってつらい人生だったということなので、この辺で、少しお父さまとは距離を置いたほうがよいのではないかと思います。
ただ、お父さまとのコミュニケーション不全状態というのは、少しずつ改善していく必要があるかもしれません。
気になるのは、口答えすると「逆らうな」という性格のお父さまに対して、コミュニケーションのつもりで「塩かけすぎ」というのは論理的に少し不自然だと思います。
お父さまの逆ギレを誘っているようになってしまうのではないでしょうか。
お父さまの性格を考えると、「塩かけすぎ」の一言が、指摘や注意と受け取られてしまう可能性が充分にあると思うのですが、いかがでしょう?
お父さまを心配して何か一言声をかけるのであれば、「塩かけすぎ」と言うより、「体に悪いよ?」と言うほうが自然な気がします。
家族なのに、なぜかギクシャクしてしまうのは、そういう細かいところなのかもしれません。
これは、お父さまだけでなく、家族全体の問題だと思います。
特効薬はないと思いますので、少しずつお父さまへの接し方を変えるなどの工夫をしてみてください。
A 他人のほうが
/倉田真奈美さん(千葉県)
私はホームヘルパーをして、いろんな家庭に入り、家族の悩みも見てきました。現在は認知症のグループホームで、介護の仕事をしています。
そのとき感じたのは、ご利用者さんは、第三者の私には、ごく普通にふるまわれて、ご家族にはつらくあたるという事実です。
赤の他人には遠慮があるのか素直なのに、身内になると甘えがあったり、やつあたりをしてしまう。
家族も元気だった頃を知っているから、きびしくリハビリを強いたり、毎日のことだから、イライラしたり、疲れ果てる。
かえって「第三者の雇われた他人が入ることで、両者が距離をとれてラクになれるのでは?」と思います。
肉親や家族、近い人ほど距離が近すぎてうまくやれなかったり、関係がギクシャクすると私自身も感じます。
お母さんと相談者さんだけでかかえこまずに、思い切って他人にお父さんを委ねてみたら、いかがでしょうか?
ハナから無理だろうと思いこんでいませんか?
〝意外にうまくいくかも? です。
やってみて、ダメなら別な手段を考える。
やる前から諦めて自滅するのはよくないです。
家族だけで老後を介護するというのは、一見美しく見えますが、介護者の人生を台無しにするかもしれません。
相談者さんも、やりたいことはありませんか?
自分の人生も大切にして、お父さんのために自分を犠牲にするのではなく、大きく社会に羽ばたいて、あなたらしく生きて、人生を楽しんでください。
私も同じ43歳ですが、親を故郷に残して結婚して幸せをつかみました。
親が、「老後は自分たちでなんとかする」と言ってくれたのが救いです。
「こころの元気+」2013年6月号(76号)「おこまりですか? では他の人に聞いてみましょう!」より