こころの元気+ 2011年6月号特集より
特集1
親と子、それぞれの同居―わが家のルール
いい加減なルールで共同生活
東京都
手風琴さん
子どもの病歴が長くなってきて、病状も親子関係も安定してきた頃、わが家では、部分別居のような生活スタイルをとることにしました。
数年間べったりと一緒に過ごしてきたので、お互いにからみついたような親子関係を、双方が解消したいと思っていた時期だったのだと思います。
まず洗濯物を別にしました。食事も別々に準備し(食べる場所は同じです)、お互いを干渉しないように努力しました。栄養のバランスが気になりますが、そこは親の方もぐっとがまんです。
年金の管理も、薬の管理も、通院も、本人に任せました。部屋が散らかっていようと、何日も布団を干さなくても、口は出しません。
共通の場所(居間やトイレやお風呂)に関しては、親からルールを決められることが一番苦手なので、一切決め事をせずに、親が「手抜き家事」を決め込みました。ほこりが舞っても、赤カビができても、ヌルヌルしても、明るく笑って(?)気にしないふりをしました。
どのくらいたってからでしょうか、気がつけば子どもが雑巾がけをし、風呂場もトイレもピカピカに磨いていました。以来わが家では、汚れが気になる人間が気が向いたときに掃除をするという、いたっていい加減なルールでの共同生活をしています。
子どもが、掃除の仲間に入ったということが重要なのであって、部屋がきれいか汚いかはたいした問題ではありません。
親と同居するということは、小さな社会生活をするということで、けんかしたり仲直りしたりがまんしたり譲ったり …とさまざまな摩擦を共有し続けることで、ある意味自立(社会参加)への大きな足がかりとなっているのではないでしょうか。それは、いずれやってくる親離れ子離れにもつながっていくのだと思います。
家内分業で
東京都
澤田優美子さん
年金と薬の管理は、自分でしています。
皿洗いと洗濯は、私の仕事です。食事の支度も手伝い、母がいないときは簡単なものを準備します。
買い物は、以前は私の仕事でしたが、父が退職してからは父の仕事になっています。掃除は、おもに水まわりと自分の部屋をします。
自分のことは自分ですること、役割があることで、家にいていいのだと思えます。
食事は、できるかぎり一緒にとりますが、私が寝ていたら親はいちいち起こしません。
どこかへ行くときは、行き先と帰りの時間を言うようにしていますが、急いで出て行くとき、なんとなく面倒なときもあります。そんなときでも親は、「どこへ行くの?」、「何時に帰るの?」とは聞きません。帰りが遅くなっても、携帯に電話してきたり、帰ってから、「遅かったね」と言われたりすることはありません。
それでもかつては、母は「娘が心配で旅行に行けない」と友だちに言って、「失礼だけど、お嬢さん、どこか悪いの?」、「体はどこも不自由ないけど …」、「だったら、あなた、心配しすぎよ」と言われていました。
その頃は、悪いけど、母が重かったです。今は母も自由に飛びまわっているので、私の心も軽いです。親なき後も何とかなるような気がします。
次女、夫との同居
岐阜県
山崎和子さん
私は、五四歳の主婦で、双極性Ⅱ型のうつ病二級障害者です。
年金をもらって次女と同居しており、主人は富山に単身赴任です。
本来なら、障害者自身が子どもで、親が健常者というところでしょうが、わが家は逆です。
私は、ラピットサイクルでしょっちゅう寝込みます。家事も、何もできません。
次女は市役所に勤めていて、図書館なので月曜休みです。
土日は、単身赴任の夫が帰ってきます。
わが家のルールは、私がうつ状態のときは、風邪で四〇度の人と同じだから、静かに私が休めるように家事分担をしてくれることです。
仕事の忙しい次女は、前の日に私が夕飯に困らないように食事の用意をしてくれます。
また朝は、洗濯は乾燥までして、たたんでくれます。そうして、朝食と昼の弁当をつくってくれます。
また土日帰ってきた夫は、買い物担当です。決して「がんばってよ」とは言いません。治るまでは何か月たとうが、面倒をみてくれます。
またうつが治ると、テンションが上がり過ぎないように気を配ってくれています。とっても助かってます。