こころの元気+ 2013年6月号特集より
特集6
みんなあります。考え方のクセ
決めつけグセ
群馬県 せんさん
私の考え方のクセは、決まってもいないことを勝手に否定的・悲観的に決めつけて考えてしまうことです。 たとえば、ちょっとしたことで少しでも不安や否定的な思考が始まると、最終的に〝自分は必要ではない…結局ひとり…この先の将来は真っ暗…生きていけるのか…〟などと考えてしまいます。
このクセのよくない部分(短所)は、悪循環にはまってしまうことです。一度そうなるとなかなか抜け出せません。まだ起きていないことは事実ではないので、考えても、その通りになるかならないかその段階ではわかりません。
チャレンジやチェンジの機会を逃しているかもしれません。勝手な決めつけで、逃している未来もあると思います。
一方でよい部分(長所)は、それが、まわりと話すチャンス・きっかけの表れなのかもしれません。自分の考えが実際の事実かどうかはわかりません。ひとりで決めつけるのではなく、まわりと話すことが大切だと思います。 なかなかクセは変えられないと思いますが、少しずつ少しずつ…少しでも自分が楽に生きることのできるクセに変えていけたらと思います。
完璧グセ
兵庫県 しの丼さん
私の考え方のクセは、自分に任されていることや、やりたいことを完璧にこなさなければいけないと考えるところです。
仕事はもちろんのこと、趣味などに対しても自身のキャパシティ以上の達成度を自らに課し、達成度に到達できず、自分を責めたり落ちこんだりしてしまいます。 自己嫌悪におちいれば当然体調は悪化し、やりとげることがさらに困難になり、自分の仕事ができないことでまわりにも迷惑をかけ、そのことでさらに自分を責め…と悪循環におちいります。
私はその悪循環からなかなか抜け出せず、まわりとの関係がギクシャクすることもあります。 しかしようやく最近、理解ある両親や主人の助言などもあり、「完璧にものごとをこなさなければという強い信念や姿勢が、仕事などのできをよくしているのも事実であり、それは私の長所かもしれない」と感じられるようになってきました。
今は、ものごとと真剣に向き合い、きちんとこなそうとする長所と、心身に負荷がかかるほどやり過ぎてしまうという短所との折り合いを調整しながら、自身の考え方のクセに向き合っています。 考え方のクセは長所短所の表裏一体で、いかし方次第なのだと考えられるようになったことで、気持ちが楽になってきています。
不満足グセ
奈良県 榎田伸也さん
私は、何をやっても、どんなにいいことがあっても、「これで満足した」という達成感が得られないという考え方のクセがあります。
たとえば、新聞の投稿詩の欄に自分の詩が載ったとき、一時的には「やった、よかった!」と満足します。しかししばらくすると、「もう過去のものだ」とか、「過ぎたことを喜んでも仕方がない」などと、自分で勝手に切り捨ててしまいます。いいことが起こった自分を、あまりにも過小評価してとらえてしまうのです。
このようなクセがある限り、たとえ、いつ、自分にいくらいいことが舞いこんできても、決して心から満足することはなく、いつまで経っても達成感が得られず満たされない心理状態が永久に続くことになります。
最近は、そんなクセから脱出するために、自分に起きたささやかなよいことにも、「ああ、よかったねえ~」とずっと自分に言い聞かせるようにしています。「これで満足」が、これからはずっと永遠に続きますように…と願いながら。
自分が犯人グセ
東京都 岩柳晶子さん
私には、まわりの人が何かなくなったと言うと自分が犯人だと思いこむクセがあります。
冷静なときにはおかしいなと思えても、その場にいると感情がコントロールできなくなり、自分では盗んでいないのに、そう思いこむように仕向けられる感じです。
以前の勤務で、お茶出しの際、別の課の人に「うちのお茶っぱ使っていない?」と言われ、私は「使っていません」と答え、その場は終わりました。しかし、使っていないことを証明できないので、それが頭を離れなくなるのです。
その後、人が探し物をしていると、私が盗ってしまうからだと思いこむようになり、「私が盗ってばかりいるのだから、死ねば紛失するということはなくなるはずだ」とまで思いこみ、自殺を企てたこともありました。
「なくなる→犯人と思いこんでしまう」ことを防ぐため、なくなるではなく、与えることができないかと考え、ケニアの男の子のフォスターペアレントになり、毎月少しずつの援助を、入院中も退職後も12年間続けました。
このおかげか、あるいは時が経ったせいか、最近はこのクセも減ってきましたが、時々頭をもたげます。
0か100グセ
長野県 ミケちゃん
私の考え方のクセは、0か100です。また、何か悪いことが起こると、すべて自分のせいだと思ってしまうことです。医師や姉にも指摘されています。
たとえば入浴介助の仕事をしていて、他の人が、コミュニケーションをとりながら会話をうまく使い、入浴拒否する方の入浴を成功させているのを見て「私にはできない、私はダメな人間だ」と思っています。その2~3人の方を入浴させられないことで、介護者失格と思ってしまいます。
利用者の方すべて入浴していただければ ですが、1人でも入浴させられなければ0で、すべてがダメという考え方になっています。
また、自分が休みの日でも入浴中に事故や利用者が倒れたりすると、私が悪いと思いこんでいます。そうなると仕事に行くのが怖くなり、入浴介助もドキドキして不安と向き合ってしています。頓服薬も増えます。
よくよく考えると完璧な人間はいないのです。いろんな方に助けられていると思うようにして「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言い聞かせています。
たくさんありすぎグセ
北海道 はにゅけんままさん
「考え方のクセ」といわれれば、思い当たる節ふしがありすぎます。
悪いことは何度もくり返して起こるように思い(実際そのように突き進み…)、ほんの一点でもよくないことがあると、すべてがそうだと感じて絶望し、「~せねばならぬ」と考えおのれにプレッシャーを与え、何度も自滅(苦笑)。
火宅に生まれ育ったため、証拠もないのによくない結論を予想して、家族にさえ心の予防線を張り、学校でも友達とトラブルがあると「友達が私をきらいになった」と感じて自分から身を引いたり、勝手に一人煮えてみたり。
思いこみがはげしいうえ両 極端、今思うと「いじめられても当然だったなー」と思います(笑)。 当時はそれなりに恨みましたけど、そのときの数々の衝突が私の猛たけ々だけしさを少しずつとってくれた気がします。
今でも、ものごとを白か黒かに分けて考えるクセはありますが、選択肢を増やすことで導火線の長さを稼いでいます。PTA、タップ、当事者研究会、フェイスブックやツイッター、鍼灸院、ライター活動など、煮詰まっても違う引き出しを活用して時間稼ぎしてます。
正解かどうかわかりませんが「時間が解決することもあるんだなー」と思えるようになりました。 これは年をとって身につけた考え方のクセですね、亀の甲より年の功ですなあ(笑)。