「こころの元気+」2008年1月号より
今がどん底にいるかもしれないあなたへ
宇田川健/コンボ共同代表
私がどん底だったころ
私がどん底だったころ、誰も私を急がせませんでした。私がどん底だったころ、誰にも会いませんでした。誰にも会いたくありませんでした。誰も会いに来てくれませんでした。
私がどん底だったころ、私はどこにも所属していませんでした。どこかに所属する意欲もありませんでした。私がどん底だったころ、私は何もしませんでした。ご飯を食べる、トイレに行く、タバコを吸う。コーヒーを飲む。それ以外は何もしませんでした。私がどん底だったころ、何もしなくてよかったのです。
私がどん底だったころ、薬が多くて、副作用が強く、歩くのもままならなかったです。外に出るのが、怖かったです。初めての場所に行くと、目が上がりました。そして強い不安になりました。外に出たくありませんでした。誰も私を外に出しませんでした。
でもいつも心は不安でした。不安を味わいたくなくて、薬をのんで眠るように心がけました。
失うことはなくなった
入退院を繰り返していた五年間が終わり、その後、家で寝ているだけの二年間。今考えると、それが私のどん底だったのかなと思います。
どん底で、私は、「もう何も失うことはなくなった」と思いました。
一九歳で精神病を発病して、病名がつけられて、大学を退学して、薬をのんで、所属先はなく、行くところもなく、出かける意欲もなく、将来の希望はなく、何かになりたい意欲もなく、力もなく、権利もなく、義務もない。何もない。不安はあるけど眠るための薬はある。
時計はいらない。朝六時だか、夜六時だかわからない。テレビもラジオもいらない。何もかも必要ない。ただ、タバコとコーヒーがあればいい。ぼんやりとした不安だけある。でもその不安も薬のおかげで強くない。眠ることだけしていた二年間でした。
身体は残った
その後にデイケアに通うようになり、ボランティアをしませんかと誘われ、言われるままにボランティアをし、そのうちアルバイトをはじめることになって、生まれて初めて働いて、好きな女性ができて、自立生活を始めて、結婚して、二人で貧乏暮らしをして。
県営住宅に当たって、貧乏でも安定した生活になって。アルバイト先の職場が破産して、次の仕事に運よくつけて、そして今日も生きてます。
どん底で、「何も失うことはなくなった」ときに、庭の木を見て、「うるさい緑だ。生きてるのか」と思って「俺も残ったのは体だけか。何もないけど体はあるんだ。あるってことはいいことだなあ」と思ったときの安心感。その安心感はいつまでも覚えています。あそこが、いま私にある、何もかものスタートラインだったのだと思います。
あなたのスタートライン
今になると思います。どん底は必要だった。一度何もかも失うことが、生き直すことに必要だった。どん底のおかげで人生は変わったと思います。
どん底になると、もう落ちることはないです。底が抜けることもありません。下がり続けた人生がどん底に到達できたおかげで、後は上がるだけです。失い続ける時期は終わり、獲得し続ける時期が始まりました。何もなくても体だけあったことの発見。ずるずる生き続けておいてよかった。おかげでその後、生きなおすことができた。
私はどん底に落ちて、ずるずる生き続け、後で少し自分が好きになれたかもしれません。何もかも失ったときに必要なこと、それは何もしないことかもしれません。どん底はスタートラインです。今どん底にいる人に言いたいです。
「やっとスタートラインに着けましたね。おめでとうございます」