「こころの元気+」2007年9月号より
ころばぬ先の杖は誰のため?リスクは大切な回復や成長のチャンス!
向谷地生良/北海道医療大学看護福祉学部
当事者運動の幕開け
私が福祉を学ぶ学生であった一九七〇年代は、さまざまな障害や難病をかかえる当事者が連帯し、医療や福祉の変革を求め行動をおこした時代でした。当時、札幌に住んでいた私も「医療と福祉の谷間」の問題としてようやく光が当たりつつあった難病患者運動の街頭デモに参加し、事務局をボランティアとしてお手伝いしました。
一方では、重度の脳性まひを抱える当事者が「施設を出て地域で暮らそう」をスローガンに、地域での暮らしを可能にする条件を探ろうと住宅を借りて居住実験をしていました。
さらには、当時、すみれ会という精神障害を持つ当事者の回復者クラブ活動も立ち上がるなど、当事者運動の幕開けともいえる時代でした。
そこに共通していた理念は、専門家や家族からの一方的な保護や管理を排除し「一人の人間としての正当なリスクを取り戻す」というものでした。それは、どんな病気や障害を持とうとも、地域で暮らすことを当然の権利として要求する運動でもありました。
しかし現実は…
そして、卒業して勤めたのが北海道浦河町にある総合病院の精神科でし特集た。そこの専属のソーシャルワーカーとして働くことになりました。
精神障害を持つ人たちと出会いで、私の脳裏に浮かんだのは「医学=囲学、看護=管護、福祉=服祉」という言葉でした。
つまり、入院患者は、囲い込まれて、管理されて、服従を余儀なくされる人たちとして目に映ったのです。そこにあったのは、学生時代に出会った、主張し顔を持った当事者とは全く正反対の姿でした。そのとき痛感したのが、精神障害をかかえる当事者の治療や支援に必要なのは、保護や管理ではなく、一人の人間として「あたり前の苦労を取り戻す」ことの大切さでした。
しかし、当時は、単純にストレスを与えないことと、服薬の二つが金科玉条のように重んじられていました。そのなかで、当事者が中心になり過疎の町浦河で地域活動の拠点である「浦河べてるの家」を立ち上げました。
苦労を取り戻す
日高昆布の産地直送に挑戦したのも「苦労を取り戻す」という発想と、無為な安定よりも、力をあわせて新しいことに挑戦するリスクが、本当の意味で人をいかし、つながりや出会いを育くむと考えたからです。
それは、今日までべてるの家の活動の源泉となって受け継がれています。その挑戦を可能にしたのが、精神科医や支援スタッフの姿勢です。
新しいことへの挑戦を側面的に支え、リスクを抱えることを大切な回復や成長のチャンスと捉え、それに必要なプログラムを充実させていきました。
住居を地域に確保し、子育てミーティング、カップルミーティング、幻聴ミーティング、爆発ミーティング、就労ミーティング、住居ミーティングなど数多くのプログラムが当事者の日々の暮らしを支えています。
反面、最近は医療機関において、トラブル防止を目的に、当事者同士の電話番号の交換や病院外での交流を禁止する張り紙を目にすることがあります。リスク管理の重要性もさることながら「ころばぬ先の杖は誰のため?」を考えさせられます。