生きているだけでもたいへんです


「こころの元気+」2007年8月号より


生きているだけでもたいへんです
高森信子/SSTリーダー


突然のできごとにショック

一晩、熟睡できなかった私は、朝になって、いつもの自分と違うなと思った途端、猛烈な目まいと吐き気に襲われました。それは今から二六年前のことです。
救急車で搬送されて、入院二か月。入院中知人にかけた電話が通じなかったことから、左耳の聴力を失った事実を知り、がくぜんとしました。
医師から突発性難聴と告げられ、医学書も読んだのに、急性症状がおさまると、これで病気は治る、またいつもの生活が始まると軽く考えていたのですね。だからとてもショックなことでした。
私のこの体験は、皆さんの闘病の体験と比べたら取るに足らないことかもしれません。でも共通する所は、病気になったときの不安と混乱と恐怖。そして医療を信じて治してくれると思ったこと。さらに強い症状が消えた後、いつも通りの生活に戻れなかった戸惑いでしょうか。

重荷って何かな

皆さんは、昔がんばれたのに、今がんばれない、集中力が持続しなくてすぐ疲れる、できるはずなのにできなくなったなどの経験がないでしょうか。そんなときは、自分の力を100%発揮できないイライラやもどかしさを感じられていることだと思います。
ときに他の人から「なまけている」とか「人は生きているだけじゃダメなんだよ。働かなきゃダメなんだよ」と言われたりすると、「あっ、わかってくれない」とつらくなったりしますね。徳川家康さんは「人の道は重き荷を負いて遠き道を行くが如し」と言ったと聞きます。人はそれぞれ重荷を負って生きているということですね。
重荷って何でしょう。考えてみましょうか。生活のために労働する。人の役に立つ。平和を得るために戦う。親孝行。親の期待。食欲との戦い。タバコをやめる苦しみ。お金がない。家事。人とのつき合い。上司の命令。世間の眼。病気とつき合うのがたいへん。
これは、何かというと、私の問いかけに、「重荷」の内容を皆さんの仲間の方々が言ってくださったものです。だとしたら、私たちは家康さんの言う通りの人になりますね。
五木寛之さんは「生きているだけでいいのです」「生きているだけで価値があるのです」と言っていますが、皆さんの背には、病気という、人一倍つらい重荷がのっているのですから、もうこれは立派! という以外の言葉がありません。
生きているだけで立派な人です。

小さな目標サーフィン

何もできなかった日、それは重荷が大きすぎて動けなかった日ということです。つらい一日をじっと耐えたんだから、すごい! 立派! ということです。
そういう日は、最低限だけのことをして、休みましょう。体が要求しているのですから。そして少しでも自分にとって居心地よいこと、楽しいことを見つけて実践してみましょう。
休んで心地よいことをすると、次第に元気が満ちてきます。元気になればしめたもの。次がやる気の芽生えです。こうなれば背中の重荷も縮小の傾向に入ります。
Aさん(男性)は、病気が治ったら、福祉の専門学校に行って作業所のスタッフになると決めていました。ジッと待っていたけど、全然思うように治らないので、戦術を変えたそうです。一日の中の小さな調子の波にのって夕方外出。マックでハンバーガーを食べると決め、実行しはじめました。
身近な所で少しずつできることを増やすのが目標とか。とてもよい計画ですね。小さなできることの積み重ねが回復への道をつくるのだと思います。人は生きているだけでたいへんなんです。疲れるんです。でもなまけていない誠実なあなた! 自分の調子の波をつかんでサーフィンのようにそのエネルギーに便乗して経験を増やしてみてください。