病気とつきあうってどういうことでしょうか?
Q 私は二六歳の女性です。大学を卒業した後、広告代理店に勤務するようになりました。その一年後に先輩たちが一度に数人やめてしまいました。
その影響で仕事の量が増え、アドバイスをしてくれる先輩もいないし、孤立と不安のなかで、いろいろな声が聞こえてくるようになりました。両親は「空耳だ」と言いましたが、私にははっきり声が聞こえました。
その後、暴れたりして、両親と弟に精神科の病院につれて行かれて、三か月入院しました。統合失調症でした。
それが一年前です。今は薬もきちんとのみ、花屋さんで一〇時から三時までアルバイトをしています。病気のことを伝えてあるので、気が楽です。
さて、今回ご相談をしたいことは、今後のことなのです。「この病気は薬をのまなくなると再発してしまいます。病気とうまくつきあいながら暮らしてください」と、主治医から言われました。この「病気とつきあう」という感覚がよくわからないのです。病院のワーカーさんからは、「生活をしながら様子をみて、自分の病気の特徴を知ることです」と言われました。皆さんはどう病気とつきあっているのでしょうか。教えてください。
A 今を生きること/小松達也(千葉県)
私の場合、「病識」を自分のなかではっきり意識できたことが、つきあう段階まで回復した大きなキッカケでした。それまでの私は、拒食は意志だとか、親のせいで病気になったと、うらんだり、過去の言動を振り返っては落ち込んだりと、過去のことだけに目がいき、今を受け入れられませんでした。
でも、あることがキッカケで「自分は病気なんだ」ということが、頭にストォーンと入ってきました。発病から三年目の五月。日々変わりゆく体調の変化に対応できずに、毎日イライラして過ごしていました。わけもなく「歩こう」と無意識のなかで、数十キロを歩いてしまいました。
歩きながら自分を整理する時間を持つことができたのだと思います。己とは何か! これが大きな命題でしたが、それに付随して「何が病気で、何が性格なのだろうか?」「今どのような状態なのだろうか?」と…。そのなかで、一つの悟りが開けました。
「病気と闘わない・認める・共存する」ということです。そうすると、前向きに生きる勇気や将来への希望、まわりの人間に対する感謝などが生まれてきます。特に勇気や希望は病気に打ち勝っていくのには、非常に重要だと思っています。私は「病識」を持ってから、今を生きようと決意しました。病気の原因になった過去のことは変えられない!だったら、病気になって何ができるか? 何がしたいか? と考えるようになりました。
私の病気の特徴は、ちょっとよくなると全力疾走してしまい、疲れに気づかずに体調をくずすまで物事をやってしまうことです。このように、自分の病気のスタイルを知ることから始めました。そして、だんだんとコントロールできるようになってきました。医師やワーカーの方に、自分の行動パターンやそれに伴う心身の変化を相談し、不穏時の薬をのむ・睡眠を多く取る・落語を聞く(これは私のストレス解消法ですが…)など、自分にあった方法を探しています。対処法が見えてくると、だいぶん「病気とつきあっていける」と感じられると思います。
A 自分の状態を確認する/N・T(東京都)
私にとって「病気とつきあう」とは、病気を受け入れ、調子のよいとき・悪いときを把握することです。
私も統合失調症で、事務の仕事をしています。病気になって記憶力や思考力が落ちたせいもあり、働き始めのころは仕事で恥をかいたりして、家で泣くことも多かったです。
しかし、記憶することに関しては、家で復習をしてなんとかカバーしています。私の場合は、病気を持ちながら仕事を続けてこられた、という小さな自信と少しの努力で、徐々に病気を受け入れられるようになりました。調子のよいとき、悪いときを把握する、というのは、たとえば「今日はよく眠れなかった」など、体調や病状の変化を自分で把握し、疲れたときは無理せず休みを取る、などです。
私は、「こんなことがあって疲れた」など、具体的に主治医や家族に報告・相談しています。
それと、ある本で読んだ、再発の四つの兆候「眠れない」、「不安が高くなる」、「対人関係に敏感になる」、「外の刺激に敏感になる」を紙に書き、家のリビングに貼っています。この貼り紙を見ると、「不安が高くなっていないかどうか」など、今の自分の状態を確認できます。それに、再発して自分で把握できなくなってしまったときでも、家族が対処する手がかりになると思うのです。
病気とうまく「つきあう」には、まわりの人たちの理解・協力を得ることが大切だと思います。あなたのように病気をオープンにして働く、というのもストレスのもとを一つ減らす選択ではないでしょうか。私は、薬をのまなくなることが治ることではないと思います。「病気とつきあって」生きていく、つまり「病気を持ちながら、支障のない生活をおくる」ことは、再発しない、さらには安定した病状でいる、ということで、服薬は最も大切なことだからです。
A サインを読み取る/As・アズ(茨城県)
病気とつき合う…。わかるようでわかりにくい表現ですよね。私も統合失調症患者の一人として、こう言われてずいぶん悩みましたが、こう言い換えたらどうでしょう?
「統合失調症という『子供』とつき合う」
ごぞんじかもしれませんが、統合失調症というのは慢性疾患です。ですが今は、いい薬がたくさんできて、症状をおさえたり、減らすことはできます。
話が若干それましたね。本題に戻ります。統合失調症を子供にたとえてみるとどうでしょう? 子供も、普段しつけていればおとなしくしています。同じように病気も、普段薬さえのんでいれば、落ち着いて過ごせます。でも、ときに子供はだだをこねたり、泣いたりする。同じように病気も、ある日突然調子が悪くなり、イライラしたりうつっぽくなったりします。こういうときは、子供をおもちゃであやすように、病気も薬を使って症状を改善させていく。そうやって、また元気になっていく。「病気」としてとらえるとわかりにくいけれど、子供と置きかえると、人間関係と接点が見えて、わかりやすくないですか?
ただ、誤解して頂きたくないのは、これはあくまでもたとえであって、子供への差別ではないということ。そして、統合失調症という病気は、決して生きていく上で足かせにはならないということです。病気でいる状態が長くなればなるほど、「ああ、今日は何となく調子がいいな」とか「今日はもうダメだ」などといった体からのサインに気づいてくるはずです。
私も統合失調症歴六年くらいになりますが、結構わかるものですよ。そういうとき、特に悪くなったときは、頓服をのんで早めに寝たりしています。こういう「体からのサイン」を読み取ることも、「病気とつき合う」上で大事なことなのではないでしょうか?病気だからと身構えず、一緒に長い人生を、子供のように手をつなぎ、歩んでいこうとする姿勢こそが、病気とつき合うことだと思いますよ。