特集2
生きづらさはどこからくるのか?(200号)
○「こころの元気+」2023年10月号より
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「当事者だけで精神疾患の教科書を作る!」 無謀ともいえるプロジェクトを始めて4年半。ようやく2023年10月に完成します。その本のキーワードは「生きづらさをひも解く」。この本の執筆者の内の3人に「生きづらさ」をひも解いてもらいました。
(新刊『生きづらさをひも解く 私たちの精神疾患』については→こちら)
当事者とまわりの人の目線には違いがある
筆者:鈴木みずめ(ピアサポーター)
▼精神疾患の見え方
皆さんは、病気や障害に対して「当事者の見え方と、まわりの人の見え方には違いがあるのでは?」と感じたことはありますか。
人それぞれ感じ方が違って当然だと思うこともできるのですが、精神疾患の見え方というのは立場によって違いがあるのではないでしょうか。
▼叫ぶ人
たとえば、ある人が突然叫び出したとしましょう。
この叫び出した人は、
「何だかこれまで感じていた不安が頭の中で一杯一杯になって、助けを求めたかったんだけども言葉にならないまま叫んでしまった」のかもしれません。
ところがまわりの人は「突然叫び出した」と感じます。
つまり、まわりの人にはそこに至る「これまで感じていた不安が頭の中で一杯一杯になった」というプロセスをすっ飛ばして「叫ぶ」というところしか見えていないのです。
▼ズレを図で表現
このような、精神疾患を取り巻く私達と世間の人が感じていることのズレを下の図(『私たちの精神疾患』の本より)で表現してみました。
まず、赤い点線で囲ってあるのが当事者である私達の全体像です。
私達の中には、外から見ただけでは知る由もない、いろいろな構成要素(その人の体験、感じ方、人間関係などなど)があります。その構成要素の中でも苦しみや生きづらさ(青い部分)は一部分であることがわかると思います。その人の全部が「苦しみ」でなり立っているわけではないのです。
さらにその苦しんでいることの中でも、症状として扱われるのは特徴のある部分だけです。
つまり、苦しみ(青い部分)の中の目立つ黒丸の点の部分が症状となります。
この図を見ればわかるように、この構成要素の中には、私達一人ひとりの健康的な部分や強み(黄色い部分)もたくさんあります。ところがどうしても苦しみや生きづらさ(青い部分)に隠れて気づきにくくなってしまいがちです。
▼注目するのはどこか?
ところで、お医者さん・支援者・家族・自分自身・そして世間の人達はこの図のどこに注目するのでしょうか。
精神科に限らずお医者さんの役割は、患者さんの苦しみとか症状を減らしたり、なくすことです。ですからまずは、私達の症状(黒丸部分)に注目します。
ところがなぜか、家族や支援者も症状(黒丸部分)に注目しがちです。
実は自分自身も、苦しみや生きづらさ(青い部分)に目が向きます。
さらに世間一般の(精神疾患を知らない)人達は、精神疾患を誇張したイメージの虚像(右上の灰色のしま矢印)に注目しがちで「あいつは危険人物」などと思っていることも、残念ながらあるでしょう。
そして皆が、健康的な部分や強み(黄色い部分)に目を向けることはあまりありません。
当事者が精神疾患という未解明な病気と生きていくうえで、このように立場で見え方が違うことは、生きづらさの1つとなり得ます。
▼全体像を見てほしい
本当は、すべての人に私達の全体像を見てもらいたいと思うのです。
そして健康的な部分や強みの部分(黄色い部分)のほうが、苦しみや生きづらさ(青い部分)よりも目立つようになるような関わり方をしてもらいたいのです。
生きづらさ
筆者:堀合悠一郎(NPO法人 さざなみ会)
▼生きづらさ
具体的な「生きづらさ」には、体の変調、集中力の低下などがあると思います。
その中には原因を求めてお医者さんに聞いても、病気の症状そのものなのか、または精神科で処方された薬の副作用なのか、実際にははっきりとはわからないものも多いのではないでしょうか。
病気の改善とともに、やわらいでいく生きづらさもある一方で、1つの生きづらさがさらに別の生きづらさを引き起こし、場合によっては二重三重になってしまうこともあると思います。
さらに苦しみに追い討ちをかけるように、当事者の側からすると「精神疾患ゆえに、二重三重につらい」という図式が、世間からみると「精神疾患ゆえに、そのつらさも仕方ない」という図式になっているようなのです。
具体的にみていきましょう。
▼わかってほしいのに
「つらさをわかってほしい」という自分としては当然の気持ちが、まわりの人達にかえってマイナスの反応を呼び起こしてしまい、「つらさをわかってもらえない」という新たな「生きづらさ」を生じることなどがそれです。
生きづらさを自分一人でかかえることは苦しいですし、
「それを誰かに伝えたい」
「つらさをわかってほしい」
というのは人間として当然の気持ちだと思います。
▼「わかるよ」と言えない
しかし、人は他人のつらさを同じ形で体験できないですから、相手も誠実さから、
「そのつらさ、わかるよ」という安易な共感の言葉をつつしむかもしれません。
結果として「つらさをわかってほしい」というその気持ちすら、すんなり受け止めてもらえないと感じてしまいます。
▼聞く側の負担
つらい思いの語りは、聞く側にとっても負担になり、うまく伝えられなかったりするとなおさら互いに感情的になるなど、悪循環におちいってしまうことがあると思います。
そんなとき周囲からは、
「うまく伝えられず聞き手に負担感を与えてしまうのだから、ちゃんと聞いてもらえないのも仕方ない」と思われてしまうかもしれません。
▼つらいものはつらい
しかし、それでも生きづらさとともに日々は続きます。
つまり「私のつらさをわかってもらいたい」と思いつつも、「何をやってもわかってもらえない」という相反する気持ちが入り混じりながら生活することになります。
本人のつらさをそのままに感じることができないこと、それは理屈のうえではわかりますが、このつらさは本人にとっては現実であって、つらいものはつらいのです。
このつらさをどう「いい感じ」に変えていくのか、ぜひ一緒に考えていきましょう。
「いい感じ」はどこからくるのか
筆者:由宇(NPO法人 Green Wind)
では、つらさをどう「いい感じ」に変えていくのか考えていきましょう。
「いい感じ」って、いったいどこからくるのでしょうか?「いい感じ」と深い関係のあること、それは「自己決定」とちょっとした「覚悟」です。
▼自己決定と「いい感じ」
たとえば人生。
「自分で決めるのと、他人に決められるのと、どちらがいい?」と聞かれて「他人」と答える方は少ないでしょう。
ただ、「他人に決められる」ことに寄りかからざるを得なかった不自由さがあった方は多いと思います。
親の呪縛・仕事の呪縛・その他さまざまな人間関係の呪縛など、それはまさしく「他人に決められる」状態です。
ただそんな中でも同じ境遇の仲間と出会えたとき、心がふっと軽くなったりします。
希望を見たような、そんな感じです。
これが「いい感じ」の片鱗です。
つらいと思っていた「生ききづらさ」も、仲間が同じ「生きづらさ」を感じていると知ってホッとするかもしれません。
そんな感覚の経験がある方はもちろん、経験がない方であっても、あきらめることなく「いい感じ」を味わうことはできるはずです。
「自分の意思で人生を決められる」ことの意味を、仲間達の体験を、じっくりと聴いてみませんか。
▼ちょっとした覚悟
ただ「自分で決める」ということは、時に「自分で選び、責任を持つ」ということでもあります。
自己決定の宿命とでもいうべきものです。
そこで出てくるもう1つのキーワードが、ちょっとした「覚悟」です。
「いい感じになるためには覚悟が必要?」と仲間達に体験も聴いてみたいものです。
聴くだけなら覚悟はいりません。
ちょっと覚悟をして、自己決定することによって、より「自由に選べる」ようになり、「いい感じ」に近づく可能性が広がります。
選択することが1つの「自己決定と自己責任」ならば、選択できる環境を手に入れるために自分の行動にもちょっとした「覚悟」が必要です。
▼仲間と一緒に
自分の頭で、手で、足で、力で、自分で「自己決定」できる人生。一緒に想像してみませんか?
今「一緒に」といいました。
そうなのです。
ひとりではないのです。
仲間と一緒に創り上げることで可能性は無限に広がります。
ちょっとした「覚悟」には、ほんの少しの勇気がいります。
でも仲間がいれば勇気は何倍にも大きくなります。
「いい感じ」と「自己決定・自己責任」は隣り合わせです。
そのためには、ほんのちょっとだけ「覚悟」が必要です。
でも大丈夫、私達がついています。
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