特集3「どうですか?」という5文字にこめた想い


特集3「どうですか?」という5文字にこめた想い
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著者:夏苅郁子(なつかりいくこ)
(やきつべの径診療所)

 

たいていの精神科医がするように、私は診察室に入ってこられる患者さんへ、まず、
「どうですか?」とあいさつをします。
たった5文字の短い言葉ですが、そこには万感の想いがあります。

▪心は病んでいません

「僕の脳は病気だけれど、僕の心は病んでいません」
これは私の文通相手で、統合失調症当事者のかめちゃんの言葉です。
今年で還暦を迎えたかめちゃんは、一度も働いたことがありません。
60年間生きてきて、かめちゃんが世間からどんな声かけを受けてきたのか、彼の言葉から伝わってきます。

「精神科は人間の崇高な心を扱うすばらしい科だから精神科医は誇りを持ってください」
家族会の方からこうした応援をいただくことがあります。
本当にそうであると心から思いたいけれど…
精神科の診察室のドアを誇りを持って開ける人は、どれだけいるのだろうか…。

そんな鬱屈した想いが、いつも私の心にはあります。

特に初診では、恐怖心をかかえながら診察室に入る人もいるのではないでしょうか。
診察を受けることが嫌でたまらない気持ちの中で、誰かに手を引っ張られて診察室に入ることもあるでしょう。
逆に「もうここしかない」と命がけで期待して来られる方もいるでしょう。
あるいは「いいことがあった」と早く報告したくて、満面の笑みで入ってくる方もいます。
そんなさまざまな想いをかかえた方を出迎えるとき、どんな声かけをすればよいのでしょうか。

▪声に出せない問い

「どうですか?」の言葉には、
「ここは、あなたにとって安全な場ですか?」
「今、私と話をすることが、嫌ではないですか?」
「座っているのもたいへんなほど、疲れていませんか?」
「すぐ話したくてたまらないほどうれしいことがありましたか?」
などなど、声に出せない問いが詰まっています。

私の声かけで話の流れが決まってしまわないように、そっと静かに「どうですか?」と話を始めるようにしています。

▪10年間の2つの変化

今年は、母と自分が当事者だったことを公表して10年目となります。
10年の間に、たくさんの当事者・ご家族・医療者と出会えました。

公表してよかったと思うことの1つは、診察するうえで大切なことを当事者さんやご家族、医療者から学んだことです。
私の診療姿勢は大きく変わりました。
そっと静かに「どうですか?」と聞くようになったのも、10年間の出会いによる変化の1つです。
そのせいか、最近は患者さんから「先生は、やさしくなったね」と言ってもらうことが多くなりました。
素直にうれしく思っています。

2つ目の変化は、鑑別診断(他の病気の可能性を区別すること)の大切さがわかったことです。
精神科医は(そして多くの場合、患者さんご家族も)、病気の原因を「心因」として考えることが好きです。
私も、かつてそうでした。
でもある精神療法の大家が、
「精神療法がうまくいかなくても恥じることはないが、身体の病気を見逃してしまったときほど恥ずかしいことはない」
とおっしゃっていたと聞き、はっとしたことがあります。
患者さんにとって、身体の病気を見逃されるのは、損失以外の何ものでもありませんから。
「精神科医も、医者ですよね?」
と疑われないためにも、患者さんの身体の状態も念頭に置きながら「どうですか?」と聞いています。

▪旅のスタートライン

「どうですか?」という問いは、回復への方向性を患者さんやご家族と一緒に探していく旅のスタートラインだと思っています。
こうした過程をちょっといかめしく言うと「共同意思決定」という言葉になるのかな? 
と思っています。

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