こころの元気+ 2015年1月号 特集2より
家族と暮らしています
「家族の絆」を信じて
(神奈川県)ユキマツリさん
私は現在も、家族との関係がうまくいっているとは、思っていません。ただ、私と両親は互いに歩み寄ろうとしたのではないかと思います。
子どもの頃から父は仕事中毒でした。幼い頃の家族の思い出があまりありません。
転勤が多く、高校受験時にも転校になりました。塾に通うタイミングもわからず通えませんでした。独学の勉強は苦しく、両親に不信感を持ちました。
苦しいだけの受験も終わり高校生になった頃、ある映画を観ました。リヴァー・フェニックス主演の映画『旅立ちの時』です。
この映画には、切ないほどの家族の絆、愛、信頼が描かれていました。「うちとはだいぶ違うなあ」と衝撃を受けました。「家族の絆」を意識するきっかけになりました。
大学卒業時に発病し、就職浪人もして入社した会社での12年間は、パワハラがくり返され地獄の日々でした。そのうち3年間は休職してしまいました。
この3年間は両親もつらかったと思います。「家族の絆」が試されたと思います。波風が立たなかったのは幸いでした。
発病してから、私が見てきた地獄を、母も見ていたことに気づきました。そこに強い信頼感が生まれました。
6年間の一人暮らしを経て仕事を辞めたとき、実家に戻りました。「両親には迷惑はかけられないなあ」と思いました。ちゃんと仕事して、可能な限り自分のことは自分でしようと思いました。
食材などの買い物、ゴミ捨ては私の役目です。自分の部屋を提供してもらっているので恩義を感じます。家のことには協力していくつもりです。兄夫婦が帰って来て、甥っ子と遊んだりするのも積極的にしています。
この5年は、両親と毎年、旅行に行っています。京都や箱根、萩や長崎、小豆島などにも行きました。旅行でも「家族の絆」が深まったのだと思います。
「家族の絆」を信じることができれば、両親は、一つ屋根の下で暮らしていくうえで共同経営者になり得ると信じています。
大人3人として
(東京都)貴水実久里さん
私は30代で、うつ病を患ってから10年以上経ち、現在両親と私の3人家族です。家族と折り合いが悪く「言い争いの日々はたくさん」と一人暮らしを考えましたが、金銭面であきらめています。
私はうつ病がひどかったときに自分や両親を否定し、「なぜ私を生んだの」「何でこんなふうに私を育てたの」などと罵声を飛ばし、母は自責の念にとらわれ、父はそんな母娘を、
「お前たちは会話ができていない」とあきらめて見ていました。
それでも数年間は、お互い何もなかったかのように仮面をつけ、食事の時間は家族が揃い、さも仲よさげに会話していましたが、家は緊張する場で、くつろげる場所ではないと気をつかう空間でした。
本当はもう家庭崩壊しており、家族が揃うと「忘れたいことを思い出させるな」という微妙な緊張感が走り、ムダなエネルギーを使いました。
とうとう「いつまでこんな暮らしをしないといけないの」「大人が3人も揃えば争いだって起こる」という言葉が出ました。
たしかに一個人が3人も集まれば、価値観も違い、昔発した・発された言葉がよみがえります。
お互いの精神衛生上、家族でも会わない生活のほうがよいことがわかり、言い争いに疲れた私たちは、顔を合わせない生活に移行しました。
今は一つ屋根の下で、お互いに干渉せず、食事も家事もバラバラです。
それでも家族ですから事務的な用事はあります。顔を合わせて話をすれば、お互いの不満が噴出するので、用件は極力メモやメールですましています。
幸い私は、家事は得意なので不便はしていません。家賃光熱費は両親に甘えていますが、ルームシェアを家族としている距離感です。
共同生活をしていてよいことは、誰かが体調を崩したときやペットの世話など、一人では立ち行かなくなったときに、家族同士支えることができることです。
大人ですからお互い一人の人間です。
金銭面で一人暮らしができなくとも、ルームシェア感覚で親子といえども一個人として距離をとりながら暮らせればよいと思います。