イタリアのメンタルヘルス映画を楽しむ・学ぶ(コンボ)


こころの元気+ 2013年12月号特集より


特集2
イタリア映画を楽しむ・学ぶ
『人生、ここにあり!』『むかしMattoの町があった』鑑賞ガイド

コンボ編集部
丹羽大輔


「人間映画」と「病気・社会映画

『人生、ここにあり!』と『むかしMattoの町があった』(以下『Mattoの町』)は、つくり話も盛りこまれてはいますが、実話を元にした映画です。
メンタルヘルス映画をざっくりと2つに分けるなら、実話を元にした映画なのか、完全なフィクション(創作)なのかということになるでしょう。
それをさらに2つに分けるとすれば、「人間を描く映画」(以下「人間映画」)と「病気や社会を描く映画」(以下「病気・社会映画」)とに分かれると個人的に思っています。

「人間映画」の特徴は、主人公の生きざまをベースに、さまざまな物語が展開するところです。
病気のことや社会問題がいろいろ出てきても、それは登場人物たちをとりまく状況にすぎず、物語のわかりやすさやおもしろさも重要な要素となります。
物語重視なので、一般の人も楽しむことができます。
「病気・社会映画」は、病気や社会問題に着目し、それを中心に描かれることが特徴です。
見て楽しむというより、その問題を考えるためにつくられている気がします。
そのため暗い部分だけを描いたり、フィクションなのにストーリーがイマイチだったり、ご都合主義だったりする場合が時としてあります。

「人間映画」の典型

『人生、ここにあり!』も『Mattoの町』も「人間映画」の典型です。
2本とも、病気の症状や社会問題を直球勝負で描いています。それなのに「病気・社会映画」にはなっていないし、何しろストーリーがとってもおもしろい。
もちろん悲しい場面も出てきます。
すぐれた作品には喜怒哀楽が無理なく描かれているものが多いのですが、この2本の映画の根底には、人間の奥深くからわき出てくるさまざまな感情が存在しています。
『人生、ここにあり!』はコメディといわれます。私も何回も笑ってしまいました。
でも、いわゆるギャグをてんこ盛りにしたドタバタコメディではなく、登場人物たちの思考方法や行動パターンを客観的におもしろく描くことでうまく笑いにつなげている気がします。
『Mattoの町』は、人間バザーリアを描く大作です。鎖につながれた患者さんたちの悲しみと、バザーリアの怒りと情熱を真っ向から描いた作品です。
ぐいぐいとその情熱の渦に巻きこまれ、3時間の作品に釘づけになってしまいます。


『人生、ここにあり!』
~あらすじ~

1983年のミラノ。
労働組合員のネッロは、熱血男だが、型破りな活動をしたために所属していた組合から移動を命じられてしまう。
行き着いた先は、なんと精神病院の中にある元入院患者たちの協同組合だった。
そこにいたのは、病院から出て自由な社会生活をおくるどころか、毎日を無気力にただ過ごしている元患者たち。
ここでも持ち前の熱血ぶりを発揮せずにはいられないネッロは、施しではなく、自分で仕事をしてお金をかせぐことを彼らに持ちかける。
なんとか床貼りの仕事をすることが採択され、ネッロは彼らとともに、この無謀ともいえる試みに挑戦する。
ある日、仕事現場でアクシデントが起こり、みんなの人生が180度回転するようなチャンスが巡ってくる―。

『むかしMattoの町があった』   詳しいことはこちらをクリック
~あらすじ~

1961年、ゴリツィア県立精神病院長に赴任したバザーリアは、小さな檻に閉じこめられていたマルゲリータ、独房のベッドに15年も縛しばりつけられているというボリスたちと出会う。
バザーリアは、病院の収容所臭さをなくすことに心血を注ぐ。
やがて、マルゲリータやボリスのかたくなな心も少しずつゆるんでいく。
長年、精神科病院の改革に心血をそそぐバザーリア。
1978年、イタリア中の精神病院を廃止する新しい精神保健法が成立。
マルゲリータもボリスも人間として復権を果たす。
しかしバザーリアは…。