私たちは孤独じゃない――理解してくれる人がいる(本人)


2007年12月号より


私たちは孤独じゃない――理解してくれる人がいる
まだ飛べる羽をたたまないで
ERI/神奈川県

弱い私は、孤独を自由と叫んでいた時がありました。闇の扉に鍵をかけてしまったかのように誰とも接することなく、そして接してはいけないというような、変な使命感を抱いていました。
そんななかでも愛を与えてくれる人たち、家族、友人がいました。それでもその愛すら無視していましたが、月日が流れてゆくうちに小さな風穴が開いたような感覚になりました。人間は怖いけれど、その人間が創り出す温もりがほしい。そんな矛盾や葛藤が芽生え、だんだんと人と関わるようになっていきました。
孤立している人に必要なものは、持続性のある愛情だと思いました。まわりがその場しのぎではなくずっと私に愛を与え続けてくれていたことが何よりの救いでした。
世の中は平等でもなく不平等でもない。自由でもなければ不自由でもない。自分なりの受け取り方がきっとあるはず――そんな風に笑いながら空に吐き出してみれるようになれたら、目に映る世界も心の世界もちょっと変わるのではないでしょうか。もちろん、一瞬の感情でも良いんです。ちょっとだけでも風向きが変われたらうれしいですもんね。まだ飛べる羽をたたまないで、一緒にフツーに笑ってみませんか?

弱みを見せられる自分に変わって
藤澤正志/千葉県

孤立していた頃の自分は、「ぜったい人には〝自分の弱み?を見せないぞ!」という姿勢でいたと思います。すごくツンツンした生き方をしていて、最後には疲れて燃え尽きてしまいました。
でも、人に「相談できない自分」というのはすごく苦しかったです。最後は「パニック障害」を患ったことによって、自分からSOSを出すようになりました。
当初は、全家連や全精連で、電話にてお話を聴いていただいておりました。家族からも理解を得られていなかった当時の僕にとっては、それらは唯一の救いでした。
僕がそこで気づいたことは、とにかく訴え続けていれば、話を聴いて理解してくださる方が必ずいる、ということです。時間と根気が必要かもしれませんが、あきらめないでください!

その後、デイケアや自助グループに参加するようになった僕は、同じような苦しさや、自分とはまた違ったたいへんさを持つ人たちと会いました。自分の痛みが〝相対化?できてくると、気持ちが少し楽になってきます。そうして僕は少しずつ、「自分の弱みを見せられる自分」に変わってきました。仲間と出会えたから、変われました。これからは、仲間と有意義で楽しい時間を多くつくっていきたいです。

身近な友人に理解してもらう
とんがらし寛子/東京都

私が自分の病気を初めて話したのは、大学生になってからのことでした。たまたま同じ高校で所属していた文芸部の同輩が、同人誌をつくっているという話を聞き、詩の好きな私は、作品に絡めて、思い切って病気のことを書いて投稿してみたのです。

私は高一のときに発病した後は、病気のことは隠していましたから、本当の友達づきあいというものができないでいました。ですが、周囲はかえって私をあたたかく迎えてくれました。病気を抱えている私の悩みを電話で長々と聞いてくれたり、再入院したときは、お見舞いに来てくれました。
現在は作業所で、作業の一環である調理やネット・オークションなどに携わりながら、イベントで楽器演奏をしたり、歌を歌ったりして、過ごしています。
ときには不安定になって落ち込んだりハイ・テンションになったりしますが、そんなときには仲間に同じように話を聞いてもらったりして、自分の居場所として活用しています。
自分のことをわかってほしい、病気のことを少しでも理解してほしいと思えば、まずは身近な友人との関わりや、施設を利用して、自分のつらさをあらわにしてみたらいいかと思います。