働くことの意味って何だろう?(本人)


こころの元気+ 2013年7月号特集より


特集5
働くことの意味って何だろう?


はるかに健康
まちにとびだす障がい者の会
栃木県 福田一夫さん


「働くことは生活を楽にし、夢を広げること」。だからこそ、働くことに意味があるのだと思います。
そしてそのことは、自分の可能性を社会で試し、実現することだと思います。

私たち精神障がい者の多くは、発病によって、発病前に持っていた本来の能力を削がれて職に就きます。
以前なら当然できていたことが、いくら努力してもできない状態で働き続けなければなりません。そこには罵声や言葉の暴力も介在し、苦しみの連続です。

精神障がい者が「働く」ということは、普通の人が普通に行っている普通の権利をとり戻すことだといわれていますが、私はちょっと違うと思います。働くうえでの苦労の質が異なるからです。
できない自分をあきらめたり、慰めたり、病気再燃の影におびえつつ行きづらい職場に出社したり、このような苦労は精神障がい者の特権でしかありません。精神障がい者の「働く」は普通の人とは決定的に異なった体験なのです。だからこそ、長いこと実現されてこなかったのだと思います。

しかし、私たちも生活者である以上、生活費が必要です。
健康で勤められている多くの人が、仕事に意味を見出しているとも思えませんが、その疑問は金銭で解決されているように思われます。
私たちのいただける給金はあまりにも少なく、そのような意味を持ちえません。
健康な人は、仕事がつまらないと感じても、お金のためと割り切れるでしょう。
私たち障がい者の場合、社会参加やわずかな金銭が自己実現だとされ、「働く」意味がすべて自己実現に置き換えられてしまう傾向にあります。

「働く」ことで自己実現することは、働く喜びの醍醐味です。自己実現に目覚めて成長を続ける精神障がい者のほうが、お金のためにしか働けなくなった人よりは、はるかに健康なのだと思います。
ちなみに、私は非定型精神病で、障がいをオープンにして働いております。

 


就職はゴール?
茨城県 試行錯誤の毎日さん


私は、統合失調症の40代半ばの女性です。 病気になって約20年。働いたのは大卒後の約3年間、一般企業に勤めた経験のみです。就職後2年半ほどで病気になり、半年後に退職。その後はずっと無職です。

病気になる前後で、働くことに対する思いや考え方が、どのように変化してきたか眺めてみたいと思います。
健康な頃や病気になった頃は、「働くこと=社会人として当然・あたりまえのこと」との思いが強く、働いていない自分が許せず、がまんできず、本当にあせりました。

「働けない自分=劣っているダメな人間」という思いで、今思うと、周囲や社会の目ばかり気にしていました。 働いているか否かが、一人前か半人前かを決める絶対的なバロメータであり、それくらい「働く」ということが、生きるうえで私の中心を占めていました。

しかし今は、健康な人でもなかなか職に就けない就職難の時代。健康でない私が無職でも自然かなという思いも出てきました。 無職期間が長いと、くやしいけれど「働くことは無理?できない? 向いていない?」との諦めの気持ちも生じています。さらに、ここ数年は体調が思わしくないこともあり、「仕事・働くこと」への変なこだわりやあせりはなくなり、逃げかもしれませんが、「働かない人生もあり?」という感じです。

「仕事・働くこと=楽しい・充実した・生きやすい人生の支え(柱)となる生き甲斐のひとつ」という考えに至っています。仕事は生きるうえでのごく一部でしかないと思うようになりました。

ですから、現在よく耳にする「就職支援」という言葉も、「就職=究極の最終ゴール=病気からの回復の証拠」という健常者のみの視点で捉えた結果と感じ、疑問に思います。
「就職」は、皆がめざすべき絶対的なゴールではなく、さまざまなゴールがあってもよいと思うのです。 今は、こんなふうに考えています。