第3回(「こころの元気+」2017年6月号掲載)


橋際義さん
団体名:金輝(大阪府中央区)
活動が連載されているHP
お店のHP: http://as.sumomo.ne.jp/kinki/
ブログ:http://lineblog.me/kakarakun77/

 こんにちは。発達障害のカフェ・バー金輝を経営している橋際です。
 26歳でアスペルガー症候群と診断されました。定期的にオフ会とかを開催したりしました。31歳で金輝(発達障害のお店)を立ち上げました。
 金輝(発達障害のお店)を立ち上げる前までは波乱万丈な人生をおくってきました。
 小中学校のいじめ、半年間のニートライフ、パワハラ、転職、言い出したら切りがないです。
 1日1万人来るHPを作りました。個人としては多いアクセス回数です。
それなのに、面接で落とされた会社は100社以上も超えました。
 アクセス数を増やす結果を出せた理由を説明できず、苦しんでいました。卓越したプログラミング技術があるわけでもなく、すぐれたデザイン力があるわけでもありません。
 毎回面接官へのアクセス数を増やした秘策の返答にいきづまってしまい、不採用となりました。
 就職活動にいきづまり挫折して、うつになり、私が発達障害をもっていることを知りました。ショックを受けたというよりも「なるほど」と思うことが多かったです。
 いったん人生をリセットしてゆっくりしたいという思いもあり、海外へ長期旅行することを決意しました。
 ベトナム、カンボジア、タイ、チベット、ネパール、インドを横断しました。
 中国人に誘拐されそうになったり、インド軍の敷地に間違えて入ってしまい軟禁状態になったりしたこともあるけど、発達障害の特性を活かしてアクセル全開で128日間アジア大陸を横断しました。
 長期旅行をすることにより精神をきたえられ、帰国後すぐに就職先が決まりました。面接ではきびしいことを指摘されたものの、採用されたことを今でも誇りに思ってます。
 入社後は仕事に専念することを決意しました。アイディアを出して会社に貢献しようとしてきましたが、途中からだんだんと採用されにくくなってきました。
 ここでも発達障害の生きづらさが浮き彫りに出てしまいました。
 入社2年後、再びうつになり、ふり出しに戻ってしまいました。正社員として採用されたこともすべて水の泡になってしまいました。

自分にとっての転機に

 しかしこれも、よくも悪くも私にとって転期ではありました。うつの自分から逃げるために遊びまくることにより、自分の居場所がわかったのです。
 たくさんの人と今まで以上に話せたことがよかったと思ってます。勘だけに頼りすぎて失敗してしまった自分に気づけました。芸術世界の哲学理論を論理的な説明もなく、永遠と語ってしまっていました。
 その頃から発達障害関係の集まりを定期的に開催するようになりました。
 世間では障害者としか見ていないですが、集まった人を見ていると驚くほど普通の人が多かったです。
 みんな何かしらの欠点があるだけで、ユニークなメンバーで毎回盛り上がっていました。このメンバーがいつも集まれる場所があればと思い、今の金輝ができました。
 HPのアクセスも金輝(発達障害のお店)の経営も行動力だけで実現させましたが、私には何一つ才能がありません。むしろ何も才能がないことが長所だと自負しています。どんなに努力しても2位か3位で止まり、これからも1位になれることは決してないと思います。
 1位になるよりも、縁の下の力持ちタイプとして多くの人のサポート業務を実現させています。プログラマーやきれいな文書を書く小説家、絵描きさん、発達障害で悩んでいる人をフォローすることが得意と自負しています。
 金輝(発達障害のお店)もアートギャラリーカフェ・バーとして経営しながら多くの方の個性をPRしています。
 有名な芸術家の高価な展示品を並べようとかは一切思ってません。むしろ無名な人達をフォローして、成長させていくことが私の目標です。
 日本はヨーロッパやアメリカと比べて発達障害の理解がとぼしいです。個性あふれている世界観を社会に出していくことが、これからの支援だと思います。