恨みながら妬みながら死んでいくのは嫌だ


「こころの元気+」2017年3月号への投稿より →「こころの元気+」とは

恨みながら妬みながら死んでいくのは嫌だ / まちにとびだす障がい者の会 福田一夫さん 栃木県

私達人間はたった一度限りのやり直しのできない人生を送っている。簡単にやり直せたり、リセット出来たりしたら人生は軽いものになってしまうだろう。そういう価値の人生を精神病の発症は台無しにしてしまう。

そこでリカバリーが問題となる。人生は何度でも再チャレンジできる。このチャレンジはやり直しではない。現実を基に取りうる可能性に向かって最善を尽くす個性である。その過程で、かつての夢を再び見てみるのも良いだろう。

自分はメーカーの事務員になりたかった。モノづくりへのロマンも今も持ち続けている。

大学4年の発症はそんな夢を打ち砕いた。今更事務系の職種には就けない。

もう一つ、発病に伴って抱いた大学で教鞭をとりたいという途方もない夢。当然、博士号を意味する。大学で静かに哲学を語りたい。いつかは大学院へ。郵便を配達しながらそんな思いは消えなかった。そんな夢のためにお金を貯めこんでいった。

そんな夢に大きく舵を切るきっかけは、病気の再燃で郵政をおわれてからのことであった。郵政にも戻ろうとした。その思いが断たれたことが人生に針路を決めさせた。

修士号を取り、博士後期課程へ。真っ向勝負に出た。結果は大学院博士後期課程満期退学であった。35歳からの再チャレンジは、大学教員の応募可能年齢の上限に近く、無残にも砕けて消えた。

現在は、スーパーで床を拭きトイレを磨いている。奨学金の返済も抱え込んだ。学位も墓場の飾りかな。学歴は障がい者の道楽の結果。そんな批判のあることは十二分承知しながらの日常を送っている。

しかし、この挑戦の期間がなかったなら素直にスーパーの床を拭きトイレを磨くことはできていなかったと思う。「発症がなければこんなことはしていない」というプライドだけで、何もできないくだらない人生になっていただろう。

大学を卒業するときの悲運も伴いながらの夢、その夢を自分のやりたい人生をやってみることができたという充足と満足は何物にも代え難い経験となった。

障がいを理由に夢を諦めては、笑って死を迎えられない。諦めた顔のまま老いぼれて、世間を、何もできなかった何もしなかった人生を恨みながら妬みながら死んでいく。そんなのは嫌だ。

まだまだ夢見たところまで到達していない。その思いが次なる原動となる。自分にはまだ能力がある。まだまだ可能性がある。一度きりの人生、自分の可能性にかけてみよう。弱い犬ほどよく吠えるというが何もしないよりはるかにまし!