「こころの元気+」2017年3月号への投稿より →「こころの元気+」とは
震災・出会い・再会、そして別れ/ちびすけさん 埼玉県
10年前は、障害者手帳の交付を受けて障害者の求人枠で働くことを決意した年でもあります。
その頃一般の学童保育で働き、病気のことを話せなく、とてもつらい思いをしました。同じ病気の仲間もいなくて、将来の自分というものも考えられなかったようにも思います。
そんな私は今、障害というものを抱えながら生きにくい社会でも自分らしく生活を送れていると思います。
障害者として生きるというのもおかしい話かもしれませんが、私は10年前のこの頃、家族会が運営していた憩いの家に居場所を見つけました。今となってみれば、今通う就労B型の作業所です。
一回私は就職で憩いの家を卒業しましたが、2011年体調を大きく崩して入退院生活を送り、仕事も辞めてしまいました。
2011年、私は保護室から出た日3月11日を迎えました。東日本大震災の日です。
私はその日まで「辛い死にたい」と言葉を繰り返していました。実際、自傷行為を繰り返していました。
その日多くの命が犠牲になり、自分のしていたことに対して情けない気持ちになりました。そのような気持ちになったのは、この震災だけではなくてたくさんの出会いと再会、そして別れがあったからです。
出会いは、信頼できる主治医や現在の趣味とするものです。再会は中学校時代の友人、そして今通う作業所です。別れは、長い付き合いだったワーカーです。
そんな出会いや別れを繰り返していくなかで、私は少しずつですが気づきました。それは私が辛いという時は、自分だけではなく周りもつらく悲しいという事です。
入院をすると「制限のある生活を自分だけなんで送らなきゃいけないのか?」と家族を怨んだことでさえありました。
しかし、私以上に実は悲しんでいるのは家族だったのかもしれないと思うようになりました。
それはこの話がきっかけでというものでもなくて、自然に自分の周りにいる人が、優しく時に厳しく関わってくれることにより、気づかせてくれたように思います。
今まで私はいっぱい泣いてきたし、笑いました。これからもいっぱい泣くし笑うと思います。過去の自分の起こして生きた行動に自己嫌悪を抱くこともあると思います。
でも、そのたびに自分に言い聞かせます。私には仲間がいるという事支えてくれる人がいるという事、今までの経験が無駄という事は何一つなかったという事、そんなことを思いながらゆっくり生きていきたいと思います。