「こころの元気+」2017年3月号への投稿より →「こころの元気+」とは
それでも、前を向いて/まゆかんさん 茨城県
私は十年前、28歳で療養4年目、週に4日デイケアに通っていました。
デイケアで定期購入していた「こころの元気+」創刊号を初めて手にしたのはその時。最初の数ページだけで続きが読めなくなりました。
そこにあったのは「登る人生から降りる人生へ」の文字。
「なんで?」「病気がよくなったら昔以上に活躍できると思っていたのに…」
写真の当事者たちの笑顔さえ何だか気持ち悪く思えたのでした。
デイケアに通いながらボランティア活動を始め、通信制大学に進学。家事などの家族の役割も負担。クローズド(病名を知らせないかたち)でのアルバイト、地元の朗読会や演劇への参加、好きになった人(結局はお別れしてしまいましたが)との共同生活…。
色々に欲張って頑張りましたが、病気の存在が消えることはありませんでした。
私は十年かけて病気になって失ったものを受け入れていきました。ゆっくりと、少しずつ、それでも確かに。
その受け入れの伴走者の一人が本誌でした。その頃には人生を再構築する手がかりを求めて熟読していました。コンボライターになると投稿が掲載されました。「失ったものは大きいけれど、得たものもある」それを形にしてくれたのも本誌でした。
今はよい仕事にも出会い、演劇活動も充実し、結婚を考えられるパートナーもいます。自由律俳句では多数の賞を頂き、注目の若手新人でもあります。
それでも、自分が現実に失ったものすべてを受け入れることはできません。持てただろう学歴や、本来楽しかっただろう青春、何より職業選択さえできなかったこと。特に健常者との生涯所得を比べると暗澹となります。人生の一部の時間を失うとはそういうことなのです。
よく、そういう辛さを乗り越えて…という声が(本誌にも)ありますが、私は正直疑問です。乗り越えた気分にはなれても、乗り越えるのには一生かかるのではないでしょうか。
「それでもいい。前を向いて生きていく」
今のそのスタンスが私のリカバリーです。自分の負の部分を背負って立てる強さがもてたこと。現実を受け入れながら前向きに生きることの本当の意味がわかっただけでも未熟な私の成長です。
いつか人生を愛おしんで終わりたい。リカバリーに終わりはありません。
私は今日も前を向いて立っています。