精神科の診断


ネット特集1
精神科の診断はどのようにして行われるか
 ※大野先生にHP用に書いていただきました。

一般社団法人認知行動療法研修開発センター 大野裕


1.はじめに:診断と診断名は違います

最初に私の結論を書くことにしたいのですが、私は、精神科では診断と診断名は違うと考えています。
診断というのは、文字通り、その人を診て、問題点の解決法について判断することです。一方、診断名は、その人の状態についた名前です。名前がついたからと言って、その人のことをすべて理解できているわけではありません。

「椅子」と名前がついたモノを想像してください。それが座るためのモノだということはわかります。しかし、仕事をするためのモノか、リラックスするためのモノか、座椅子なのか、どのような目的のモノかは実物を見てみないとわかりません。

なぜ最初にこのようなことを書いたかというと、名前=レッテルだけでは、その本質がわからないことが多いということを知っておいていただきたいからです。ですから、精神疾患でも、診断名=レッテルだけでは、その人が何に困っているか、そしてどのようなこころの力を持っているかを知ることはできません。

そこで、本稿では、治療に役に立つ診断をするには、どのようなことを考える必要があるかについて考えてみることにします。

2.精神疾患の診断の変化

前項で、名前=レッテルだけでは本質がわからないと書きました。
名前=レッテルの問題は、それだけでなく、人によって違う名前=レッテルがつけられることがあるという点にもあります。そのモノを見た人が、座るための椅子だと思っても、作った人は別の目的を持って作っていたということがあります。
こうした問題は、とくに精神疾患を診断するときに注意しておかなくてはならないことです。

精神疾患の診断が大きく変わったのは、1980年に『精神疾患の診断・統計マニュアル第3版(DSM-III)』が発表されたときです。
当時、精神科医になりたてだった私は、新しく発表されたDSM-IIIを、精神疾患も内科疾患のように診断基準で診断できるようになったのだと感慨深く受け止めたものです。その感慨は、DSM-IIIの成り立ちを考えると、的外れではありませんでした。DSM-Ⅲが作成された背景には、精神医学を他の医学領域と同じにしたいというアメリカの精神科医たちの強い思いが存在していたからです。

そのころ米国では、精神医学が医学と言えるのかという批判が高まっていました。とくに問題視されたのは、精神科医によって診断が違うことが多かったからです。同じ患者さんに対して、専門家が違うと、つけられるレッテルが違うのです。そんなことで科学と言えるのかと批判されていました。

そうした批判をかわすために、アメリカ精神医学会は、できるだけ共通した診断ができるような仕組みを作り出しました。それは、症状のリストを作って、そのうちのいくつかを満たせば、ある疾患と診断できるという仕組みです。
例えば、うつ病であれば、9つの特徴的な症状を並べて、そのうちの5つを満たせばうつ病と診断できるということにしました。そうすれば、誰が診断しても同じ診断名が着く可能性が高くなります。その結果、精神科は医学の中に残ることができました。

3.人を診るということ

それはそれでよかったのですが、一方で、人を診るという精神医療の本来の目的が忘れ去られるようになりました。
症状に目を向けて、一定数の症状があれば病名がついて、それに応じたクスリが処方をされる、といういかにも医学的なアプローチがされるようになったのです。しかし、それでは人のこころに目が向かなくなります。

そもそも、症状の数だけで、治療が必要な病気かどうかは判断できません。
私が尊敬する知人は、小学校で授業中に机の前に座らず歩き回っていたと言います。学校に行く理由がわからないからと言って不登校になっていたという人もいます。戦争中に東京で空襲を体験した先輩は、寝間着を着て寝ると不安なので、普通の服を着て寝ていました。
それぞれ、病名をつけようとすれば、注意欠損/多動障害、不登校、心的外傷後ストレス障害と呼ぶことができるでしょう。
しかし、この人たちは診断も治療も受けずに成長して、自分らしい道をいきいきとおくっていました。

症状の数合わせだと、こうした人たちまで精神疾患として治療してしまうことになります。それが過剰診断、過剰治療にもつながります。
それを防ぐためにDSMでは、症状の有無だけでなく、症状のためにその人が強い苦痛を感じているか、生活に大きな支障が出ている場合に、はじめて精神疾患と診断できるとしています。しかも、症状だけでなく、ストレスの状態や生活の状態を判断することになっています。
しかし、そうした視点を持たないまま症状の数合わせに陥っていることが多いように思います。そのために症状がそろっていると言うだけで、不必要な治療が行われることが多くなりました。

もちろん、強い苦痛を感じているか、生活に大きな支障が出ている、というのも主観的で判断がむずかしい面があります。そのために、血液や脳画像を使って診断ができないか研究が続けられています。しかし、それが実を結ぶまでにはまだ長い時間がかかるでしょう。
2013年に発表されたDSMの第5版ではそうした指標を導入しようとしたのですが、適切な指標がないために導入は見送られました。

DSM-5は多くの批判を受けました。その詳細は拙著(注:参考資料をご参照ください)を読んでいただければと思いますが、それでも症状だけで診断をすることはできないと明記しているところは評価できると考えています。
その文章を一部引用します。

「様々な精神症状に苦しむ人において症例定式化を行うために必要となるのは、詳細な臨床経過に関する情報と精神疾患の進行に影響したと考えられる社会的、心理的、生物学的な因子に関する簡潔な要約である。したがって、診断基準に挙げられている症状群とを単純に照らし合わせるだけでは、精神疾患の診断として十分ではない。…(中略)…症例定式化の最終目標は、利用可能な経過上の診断に関わる情報を使って、精神症状に苦しむ人の文化的、社会的文脈に基づいた包括的な治療計画を構築することにある。」

発症の背景や契機、症状の持続等は、個人の環境との相互作用を抜きにして語ることはできません。精神症状は、家庭を含む社会のなかの個人の問題が現れているのです。
ですから、精神疾患を持つ精神症状に苦しむ人の治療をするときには、いわゆる症状“診断”に加えて、その人を全人的に理解する“見立て”を適切に行う必要があるというのです。

症状を基準にした診断は、治療方針を立てるためには必要なものですが、症状は精神症状に苦しむ人の存在のごく一部です。
精神症状に苦しむ人は、社会の中で懸命に生きているひとりの人間です。そのひとりの人を手助けするためには、単に症状だけに目を向けて診断したり、自分の治療法を一方的に押しつけたりするのではまったく不十分です。それだと、精神症状に苦しむ人の心を傷つけてしまう可能性も高くなります。
あらためて言うまでもないことですが、精神症状に苦しむ人をひとりの人間として理解して、はじめてその人を手助けすることができるようになります。

4.脳の病気であり、社会の病気でもある

精神疾患は、脳の病気であると同時に、社会の病気でもあると私は考えています。発症の背景や契機、症状の持続等は、環境との相互作用を抜きにして語ることはできません。
治療は、家庭を含む社会のなかに生きる個人の苦しみを理解することから始まります。精神疾患を持つ人の治療や支援を適切に行うためには、いわゆる症状“診断”を的確に行うことはもちろん大切ですが、それに加えて、その人の社会的なあり方や人間としての生き方を理解する「見立て」ないしは症例の概念化が不可欠です。
精神科の診療では、その人が抱えている悩みや症状診断、その症状の誘因や維持要因、その背景にある生まれ育ちなどをていねいに見て手助けしなくてはなりません。

それと同時に、その人が持っている人間としての強みや長所、レジリエンス(抵抗力、復元力)にも目を向ける必要があります。
症状を和らげ悩みを軽くするには、悩み苦しんでいる人の力を利用するのが一番効果的です。逆に言えば、その人が持っている力と手を結んで、その力をいかす心の環境が整わなければ、回復へと進むことはできません。
精神症状に苦しむ人の感受性や人間関係指向性にも目を向けます。人間関係を改善していくためには、そうした感受性がほどほどに働く必要があるからです。

このように、精神症状に苦しむ人の力を信頼する治療者の姿勢は、精神症状に苦しむ人が自信をとりもどすきっかけになります。そのように、自分を信頼して見守る臨床家に対する精神症状に苦しむ人側の信頼感を高め、それがよりよい治療関係を作り上げる基礎にもなります。

診断というのは、精神症状に苦しむ人に対する人間的関心を持ち、症例の概念化を通してその人を理解し、それをその人と共有することですし、それと同時に人間的な温かさが伝わるように配慮することでもあります。
そうした臨床的態度があってはじめて、精神疾患に苦しむ人に寄り添い、治療することが可能になります。
それこそが、本当の診断だと私は考えています。


【参考資料】

  1. アレン・フランセス『正常を救え:精神医学を混乱させるDSM-5』(講談社、2013)
  2. アレン・フランセス『精神疾患診断のエッセンスーDSM-5の上手な使い方』(金剛出版、2014)
  3. 大野裕『精神医療・診断の手引き-DSM-IIIはなぜ作られ、DSM-5はなぜ批判されたか』(金剛出版、2014)

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