こころの元気+ 2011年1月号特集より
特集1
アクションが変われば見方が変わる
見方が変われば世界が変わる
コンボ共同代表 宇田川健
独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所
伊藤順一郎
《私はね、その人を見るのよ》
宇田川 伊藤先生、今回のテーマは、「見方が変われば世界が変わる」なんですが、世界まで変わらないでもいいですから、日常生活の話をしましょう(笑)。
伊藤 そうだね(笑)。
宇田川 あのー、たとえば、衣食住っていうでしょう。「衣」は何とかなる。「食」もなんとかなる。でも「住」になった途端、精神障害を持っていると、ものすごく弱くなっちゃう。
結婚するときに、不動産屋に行って部屋を探したときにね、「収入証明を出してください」って言われた。それで、いったん引き下がった後に、「もうこの物件は無理だな」って思ったんです。障害者年金だし、バイトちょっとしてるだけだし、市民税払ってないし。ただ、そのときは、たまたま背広を着て不動産屋に行ったんです。
不動産屋さんに、その後電話で正直に「実は、僕たち二人とも精神障害者の夫婦で、障害者年金中心で、アルバイトの収入は市民税も払えないぐらいなんです」と伝えました。
そうしたら不動産屋さんが、「あ、それだったら年金の振込みの手紙があるでしょう。それを出してくれればいいわよ。私、大家さんに何も言わないで、大丈夫でしたって言っとくから」って言ってくれたんです!
「私はね、その人を見るのよ」って言われて。
伊藤 へー、いいじゃん。うん、うん。
宇田川 そのときにね、見ず知らずの人なのに味方がいる、っていうことが、ものすごくカルチャーショックだったんです。そんなにパッと会っただけでわかるっていうか、見抜く力が多分その人にとってはあるだろうけど。それこそ僕のなかの見方が変わって、ほんと、つまんないことだけど、身なりをキチンとするだけで、相手が自分のことを信用してくれたのかなと思って。日常的なレベルで、「あれっ?」って。そんなことがきっかけで、普通の社会のなかに入っていけるのではないかと、思ったんですよ。
伊藤 うん、それは貴重だよね。
宇田川 で、世の中の人は、われわれを患者としてまず見ないから、「はい、この人大丈夫。はい、この人ダメ」っていうのは、なんか、自分の患者以外の部分を見てくれたのかなと思って。僕は自分の見方が変わって、世界が広がった気がします。
伊藤 なるほどね。
《言っちゃったほうが、応援してくれる人たちってたくさんいる》
宇田川 そんなわけで、この七年間県営住宅に住んでいました。そして、今年になってものすごいうつ状態だったけど、自治会長をやる番になってしまったんですよ。
やる時に、団地の住民総会で、
「私たちは障害をもっているので、皆さんの助けがないと絶対できないです」というふうに言ったんです。半分くらいの人が「えーっ、精神障害者なの?」という感じの反応でした。そのとき、あー、こういう偏見みたいなことは、やっぱりあるんだな、とは思った。
それから実際九か月くらいやってみると、本当にすごく、いろんな人が助けてくれて、ほとんどわれわれ夫婦二人は何もしなくても、自治会長として務まっちゃってる部分があるんです。
たとえば、団地の草刈のときに、朝から出て行かなくちゃいけないんだけど、出られそうにないって言ったときのことなんですけど、団地の昔から住んでいる他の精神障害の人たちと民生委員さんとかが、全部きちんとやってくれたりしたんです。
伊藤 へーっ。
宇田川 なんか、言っちゃったほうが、応援してくれてる人たちってたくさんいるんじゃないかなって思ったのね。別に、僕がコンボの共同代表だから信用してくれるわけじゃなくて、ただ、一生活者として七年間そこでやってきたことを他の人たちは見ているんですよ。
精神障害者への偏見みたいなものも、その人たちにはきちんとあるはずです。でも僕たちが七年間、ひどいルール破りはせずに、普通に、一市民としてゴミ出しはきちんとするとか、自転車は自転車置き場に止めるとか、つまらないことだけど、そういうところを見ている。
伊藤 それは大事なことだよね。
宇田川 それをやってきたことの結果は、今回自治会長をやらされたときに、「えーっ」っていうのと、「じゃあ、応援してやろう」っていうなかで、結局、「えーっ」の人たちは、ただ黙っているだけで、「じゃあ、応援してやろう」の人たちはすごく応援してくれるから、結局、僕のなかの見方が変わって、僕の世界が変わったんですよ。住みやすくなった。
《精神障害者っていうのは、言葉じゃん、実体じゃなくて》
伊藤 大切なのは、やっぱり、宇田川さんたちが、社会の一員として、まず生活しようとしているって、すごい大事だと思うんだ。それは、精神障害だからとか、そういうことに関係なく、どんな人であっても、一つの共同社会にいるときには、ゴミ出しのルールとか、あいさつとか、そういうのを果たしているっていう前提があるでしょう。そのなかで、宇田川さんの、人となりが、みんなにも伝わっているとか …。それってものすごく大きいと思う。
精神障害者っていうのは、これはさ、言葉じゃん。実体じゃなくて。言葉としてそれだけが動いていて。この言葉にまつわる、いろんな偏見があるわけだけど、生身の宇田川さんというのが、みんなの前では、やっぱり一番インパクトあるよね。そのときには、そのあなたの一属性である精神疾患が、どうでもよくなったんだと思うんだよ。
宇田川 やらざるをえないから、しょうがなく自分が発した言葉で、まわりが変わってくれたっていうか。で、別に自分たちを見る目は、「変な人たち」みたいな見方よりは、「少しサポートを必要とするけど、やっていけば、何とかなる人たち」みたいに見てくれているっていう変化があったなって思うんです。
《アクションが変われば世界が変わる》
伊藤 それって、「見方が変われば、世界は変わる」と同時に、自分なりにアクションを変えたわけじゃない?「アクションが変われば、世界が変わる」っていうか。
たとえば、「精神障害をもっているから、とても自治会長なんかやれません」っていうような文脈だって世の中にはいっぱいある。そうじゃなくて、普通の人として自分は生きようと思っていて、幸か不幸か、うつの重いときに自治会長を任されることになって、それでも、やってみようかって。
で、それは、おそらく他の人たちにとっても、宇田川さんのそういうアクションの変化が、やっぱりひとつの勇気として映って、自分たちの価値観にも影響を与えたってことだと思うんだ。と同時に、やっぱりメンタルヘルスの問題を抱えた人が実はけっこういるってことだよね。
《本当はご近所さんだけには隠しておきたかった》
宇田川 その人たちがすごく応援してくれている。でも、本当はご近所さんだけには隠しておきたかった。ただ「なんでこれができないの?」、「なんでこれもできないの?」って後になって困るなっていうのがあったから、「私たち夫婦は二人とも精神障害をもっていて」って言ったんですよ。
伊藤 なるほどね。宇田川さん的には、そういう意味で切羽詰まってみたいなところもあるんだよな。でも、宇田川さん、「だから、やめます」って言わないところもいいなと思うし、それから団地の人たちも「じゃあ無理しないで、自治会長はやめたほうがいいよ」って言わないのもいいよね。
それは多分、地域のなかで、宇田川さんがすくっと立っているからだと思うよ。精神障害っていう、一つの自分の個性を、常に前に出していないっていうか、「私の売り物はこれです」じゃないじゃん、その場合は。私っていうのが先にあって、私の属性として精神障害というものももってはいるんだけど、でも私としては、皆さんがそういうならがんばりますよ。だけど、この属性があるから限界があるんで、助けてくださいっていうわけじゃん。その順番がいいと思うんだよ。
宇田川 そこには一生懸命生きないと、普通の生き方ができないっていう、われわれ二人の夫婦がいるんです。それで、みんなにも、一生懸命生きて、普通の生き方をして、「あ、これが普通か。たいへんだな」って思ってほしい。
伊藤 うん、うん、うん。普通の苦労をするっていう感じ。
宇田川 それを、誰も止めない世界になってほしいですね。