「こころの元気+」2011年4月号特集より →「こころの元気+」とは
「死にたい」と思ったとき 話してみませんか
日本いのちの電話連盟はこちら
特集6
「死にたい」といわれたらどのように対応したらよいのか
NPO法人 岐阜いのちの電話協会副理事長
常富佳子
少しばかりの私の経験をご紹介して、「生きていてほしい」という私の思いが、お一人でも多くの方に伝わることを願っています。
30年ほど前、私の身近な青年が、自らの手で命を絶ってしまいました。
そのときの衝撃、悲しさ、つらさ、空しさ …こんな思いをするのはもう私だけでたくさん! 他の人には味わってほしくない。
自死(自殺)をなくさなければ …自死を防ぎたい! と強く思うようになりました。
人間は、誰もが一度は死を迎えます。
でも一度しか死ねないのです。
たった一度だけの大切な死を、意味あるものにすることが、人生の大きな宿題だと私は思っています。
私は、できることなら人生を全うして、周囲の人々に「ありがとう」と感謝をしながら旅立っていけたらと願っています。
死を迎える最期のとき、人は何を思うのでしょう。
自ら命を絶った人が、生きていくのがつらくて「死にたい」と選んだ死は、安らかだったでしょうか。
人生の最もつらいと感じているとき、「自らの手」で「自らの命」を絶つことは、とてもつらいことだと察することができます。
自死されたその人の、そのときのお心の内を思うとき、私の胸は張り裂けるように痛みます。
生きる意味
小説「夜と霧」のなかで心理学者ヴィクトール・フランクルは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの強制収容所から何人かの人々とともに生還しました。
収容所での過酷な経験、重労働、貧しい食料、ガス室送り(処刑)の恐怖と絶望の中で自殺者が続出、いつまで続くかわからない収容所生活からの生還でした。
このような状況のなかで、生き延びた人々は何を心の支えに生きていったのでしょうか?
「人生が自分を待っている。誰かが待っている。何かに期待されている。きっと幸せが待っている」などと、フランクルは人々をはげましたといいます。
日本では1998年以降、年間3万人近くの人々が自死で亡くなっています。
その陰には、自殺未遂も含めて百数十万の人々が、心に深刻な打撃を受けておられることでしょう。
自死遺族の人たちの自殺率は、他のものに比べて非常に高いといわれています。
一人の自死によって、周囲の人々が普通の人生を生きられなくなっていることが多く見られます。
危機(Crisisクライシス)とは
危機とは、個人が人生の問題や出来事に直面して、今まで自分が経験したり、知っている解決方法では、とても乗り切れないような状態に陥ることを意味し、その平均的持続期間は、四週間から六週間といわれています。
一方では危険を転ずる機会であり、「転換期」すなわち峠を越せば平穏になる、それどころか危機によって問題はより鮮明になることもあり、危機の経験を通して自己開発・人間的成長、そして新しい問題解決法の習得の機会となるかもしれません。
長年にわたって自殺の研究をしているカナダのヨーク大学の布施豊正名誉教授は、
「自殺とは、一時的な問題や悩みに対し、取り返しのつかない永久的な結末を与えてしまう行為である」と言っており、
米国の心理学者エドウィン・S・シュナイドマンは、
①自殺をする人は一時的な危機状態にあるのであって、言葉では死にたいと訴えても、救われるとしたら生きることを望んでいます。
②自殺の心理はアンビバレント(心が揺れている)で生きるべきか、死ぬべきかと迷っています。
③遺された人、ことに子どもに与える衝撃は計り知れません。
と言っています。
日本の自殺は、「本当は生きたいが、生きる道を閉ざされての死」ともいわれていますが、人の価値観や態度は常に変わるものです。
多くの自殺未遂者たちが、
「あのときと比べて状況も私自身の考え方も変わった。やはり死ななくてよかった」と告白しているように、死にたい気持ちは長い人生からすれば一瞬の心の迷いであって、その危機にいかに関わることができるかによって自殺は防ぐこともできるのです。
話してみませんか
「いのちの電話」では、「電話をかけてきた」というその人の、生きたい願望と秘められた力を活用し、コンピタンス(能力・力量)が適切に機能で危機とは、個人が人生の問題や出来きるように支援することによって、希望を持って生きられるようになることを多くの例から経験しています。
自殺を考えたとき、女性は「いのちの電話」などにかけてくる率が高く、男性はプライドがじゃまをして電話をかけにくいのか、心の内をうちあけないまま、一人で悩みを抱え込んで自殺してしまうことが多いようです。
そんな男性たちが、ダイヤルしていてくれたら …やり直しはできなくても、見直しと出直しはできるのです。
「電話してほしかった」と思わずにはいられません。
ひたすら話を聞く
電話相談は癒しであり、危機への歯止めであり、クッションなのです。
素人として隣人のボランティアとしてのあたたかさ、思いやりが求められています。
お互いが匿名だからこそ、孤独や不安な気持ちも安心して打ち明けられるようです。
危機に陥って嗚咽、泣きじゃくりのなかで、脈絡のない、つじつまの合わない話のくり返しにも、まずは死にたいほどつらいという気持ちを受け止めます。
ボランティアは、愛情と尊敬の念を持って無条件、無批判に相手のことを受容し、助言はせず、ひたすら話を聴いていきます。
そうすることによって、電話をかけてこられた方はまったくの一人ぼっちではないという、とりあえずの安堵感を得て緊張や不安がやわらいでいき、気持ちを整理することができるようになって、当面の生きる希望(エンパワメント)や方向を見出していかれます。
パーソナリティ障がいの人とか精神障がいの人たちの、いつ病いから抜け出せるのかわからない不安、日々の生活のしづらさ、苦しさにも、治療を超えたよりスピリチュアル(精神世界)な対応をしています。
対等な同じ目線で、一人の人間として関わることこそ危機を救うのだと思います。
どこでも言い出せなかった絶望感や、不安・恐怖・時にははげしい怒りなどをも出しやすい場として存在しているのです。
非専門家といわれている人たちの、かけがえのない大事な役目なのです。
利用者(電話をかけてきた人)には、不安や混乱、孤独感やさびしさなど、そのときどき電話に駆り立てた状態があります。
「死ぬしかない」と電話をかけてこられた人は、死ぬことしか見えない状態になっています。
混乱した話のなかから問題の核心をはっきりさせ、解決の糸口を利用者が見つけられるよう、ゆっくりお話をお聴きするなかで「死」以外の解決策に気づいていかれたり、これまでもさまざまな困難な状況に対処してこられた「力」に気づいていただけるように関わっていくことで、利用者は落ちついていかれます。
時には、自殺の手段として何を使おうと思っているのか、何を用意しているのかを聞き、自殺の決行を電話の間、一時保留をすすめ、「死にたい」気持ちにとことん寄り添うことで、危機的状況は変わらなくても、相談員に理解されることで、自殺に向かう危険度は減少していくようです。
「その人の内なる力を呼び起こす」秘訣こそ、私たちが心をこめて学び、修練する「傾聴」にほかなりません。
そして、何よりも「あなたが生き続けることを願っている人がいる」ということを、ダイヤルを通して気づいていただく働きが大切だと感じています。
「電話の向こうで見知らぬおばさんが僕のためにあんなに泣いてくれた。僕は一人ぼっちでないと思えた。今の状況はとてもつらいけど、もう少し生きてみようと思う」
と、後日電話をかけてくれた青年の言葉は、私の大きな喜びとなっています。
家族や身近な人に言われたら
家族や身近な人の場合、お互いの立場や、その人の日常を知っていることなどから、つい慰なぐさめたり、助言をしたり、時にははげましたりしがちですが、「死にたい」と思っている人にはげましや助言は百害あって一利なしだと思っています。
心の支えとなる人に相談したということは、大切なプラスの行動をとったということです。
「打ち明けてくれてうれしい」ということを伝え、つらい気持ちに寄り添います。
手を握り(時には肩を抱いて)「死にたいほどにつらいんだね」とその気持ちが、不条理な考えであっても無条件、無批判に受容します。
助言はせず、ゆっくりお話を聴きましょう。
「これまでつらい思いをしながらも、よくがんばってきましたね」
「もう一度この問題を考え直してみましょう。今まであなたが考えてみた解決法を、一つひとつふり返ってみましょう」などと、二人で一緒にその問題について考えるということは、その人の強い孤立感と無力感をやわらげ、「死ぬより他に方法がない」という狭い視野や、短絡的思考から、自殺以外の問題解決策があるかもしれないという可能性を探るきっかけになるでしょう。
問題を処理できない自分を責めなくなれば、心の痛みは消えていきます。
相手の悲しみを一緒になって悲しむ心、心からのやさしい言葉は生きる力と勇気を与えます。
生きていてほしい! という心からのお願い、「あなたがいるから私も生きていける」、「あなたは大切な人」、「ずっとそばにいるから」、「生きていてくれるだけでうれしい」、「一緒にいますよ」などの言葉も、時として生きる希望(エンパワメント)につながります。
「こころの元気+」2011年4月号特集より
→『こころの元気+』とは