こころの元気+ 2011年4月号特集より
特集3
私は今、生きています
つらいのは病気のせい?
埼玉県 灯路さん
私は、初めてうつ病になった一九歳のときに、自傷行為(リストカット・薬の大量摂取)をしたことがあります。
病気になったときは、とにかく
「先の見えない明日におびえるなら、楽になりたい」
「今の苦しみから逃れたい」
「私には生きる価値がないから、いなくなってしまおう」
という思いしか頭にありませんでした。
正直、残される家族や友人に、申しわけないと思う気持ちの余裕もありませんでした。
これから先、楽しいことがあるという思いもありませんでした。
幸い、カウンセリングと服薬治療でうつ病は回復。
自殺したいという思いもなくなり、未遂ですみました。
回復してみて初めて、「自殺したいと思ったのは病気のせいだった」と気づきました。
きらいな部分もあるけれども、日常で楽しめることも見つかり、少しだけ自分のことも好きになってきました。
好きな音楽を仕事として、今を生きています。
一生の後悔をしなくてよかったと思っています。
自分のことをかわいがれるのは、自分です。
今はつらくても、それは病気のせいかもしれません。
どうか、心をゆっくり休めてください。
あなたを見守っている人は、必ずいます。
希望を持ちましょう
岡山県 倉田真奈美さん
私は、自殺未遂をした回数がわかりません。
大量服薬では三回救急車で運ばれて二回はICUに入り、生死をさまよいました。
後に残るのは、莫大な医療費とボロボロの心と体と、悔恨と、失業と、人からの信頼を失うこと、周囲の心痛です。
何もいいことはありません!
このまま死んでいたらと思うと毎回ゾッとします。
今は、死んだら何百人という人が悲しむから、そしてその顔が見えているから、死なないで生きようと思います。
生きているだけでも、意味や価値があるのです。命の重みをまわりの人に確かめてみてください。
あなたの命はあなたが一人で処分できるほど軽くはないのです。
生きましょう。つらくても今はとにかく生きよう、一緒に。
また生きていてよかったと思えるときがきっときます!
何か希望を持ちましょう。
「希望なんてない」と思うかもしれないけれど、死ぬつもりなら死ぬ気で希望だって探せるはずです。
必ず見つかります。もう一度言います。
生きよう、一緒に。
友人の死をきっかけに
千葉県 ゆうみんさん
私も病気が長引き、先が見えないなか、一緒に机を並べていた友達が次々と結婚していったり、仕事をバリバリしているのを見てあせり、絶望し、自分なんてこの世に必要とされていないと何度も死のうと思いました。
いや死ぬというより、この世から消えてしまいたいと食べることを拒否して、体重が三〇キロぐらいになったときもありますし、踏切で「ここで飛び込んだら」と思ったりしました。
でもそんなときに、やはり同じ病気の、バイトで一緒だった自分よりかなり若い女の子が飛び降り自殺をし、そして自分の両親もこの話を聞いて
「○ちゃんは生きているだけでいいから …大事な娘だから」
と涙ながらに言ってくれて、どんなにつらくても死んではいけないと思いました。
生きたくても、病気で死んでしまう人もいるのです。朝起きてお日様の光を浴びてご飯が食べられて …それだけでも幸せだと思います。
そして、生きていれば「可能性」がありますが、死んでしまったらそこでおしまいです。
こんなつらいままで人生終わったら、悔しいじゃないですか!
死にたくなったらそう思ってください。