著:熊倉陽介「めぐる季節ときれいな花の咲く公園」2020年4月号より


特集6
めぐる季節ときれいな花の咲く公園(158号)

こころの元気+2020年4月号より
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著者:熊倉陽介 
(ことぶき共同診療所/東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野:2020年時点)

 

▼ことぶき町

横浜市中区、京浜東北線石川町駅を挟んで中華街の反対側に、ことぶき町と呼ばれる簡易宿泊所(通称ドヤ)街があります。

第二次世界大戦後の焼け野原に三畳一間の安宿が林立して街を形成し、港湾労働者達が住みこんで高度経済成長期を支えていました。
時代の変化に伴って労働者達は高齢化し、訪問看護ステーションや介護事業所が立ち並び、いつかの「労働者の街」は、「福祉の街」へと変わっています。

▼診療所に来る人々

精神科医になったときから、この街にある診療所で働いています。

重度の虐待を生き延びて実家から逃げてきた人。
暴力団を辞めて堅気になったものの、どこの不動産屋に行ってもアパートを貸してもらえず途方に暮れた人。
一家心中したが、一人だけ生き残ってしまった人。
高校を中退してから、「窃盗団一筋」で生きてきたという人。
サウナで行き倒れていた人。
遠くの刑務所を出所してきて、犯罪の内容については「言えねぇ」と言う人。

さまざまな理由でホームレス化した人が、この街を訪れ、診療所にやってきます。
重い虐待にはじまり、さまざまなトラウマティックな体験を重ねてきた人が多く、人との関わりの中でのささいなことが引き金となってフラッシュバックを起こし、その場から失踪したり、関係性の断絶をくり返して、安全な住まいを失ってきた人が少なくありません。
自律神経失調や痛みなどの身体に現れる症状の奥底には、言葉にならない傷があります。

▼そこにいていい

それを癒すためには、まずは安全な住まいを確保し、居場所感を得ることが重要です。

外来では、長く伸びてしまった足の爪を切り整え、足浴をしたり、ストレッチをしたり、鍼灸院に通ったり、身体をほぐすことからゆっくりと始めてはどうか、とすすめています。
その人が、その場にいることをおびやかされない状況を整え、ほんの一瞬でもホッとできる感覚を取り戻すお手伝いをすることが、自分の仕事だと感じています。

「人薬(ひとぐすり)」はもちろん大切ですが、人と関わることに深く傷ついて「ホーム」を失ってきた人に対しては、人と深く関わることを強要しないこともまた大切です。
たとえ誰とも関わらなくても、そこにいていいのだという安全の感覚の中でこそ、「時薬(ときぐすり)」や「人薬」がゆっくりと効いてくるものなのではないかと思います。

デイケアのプログラムの1つに、「公園」があります。
「人と関わるのは苦手」と言って、誰とつながることも拒んでいた人の中に、診療所の近くにある吉浜町公園の掃除をして、草花を育てる「公園」だけは好む人がいます。
お互いに干渉せず、黙々とそれぞれの作業をして、木陰で休憩するときも別々の方向を向いていて、特に雑談もしないままに一緒にいる。
そういう距離感がちょうどいいのだそうです。

そうしているうちに「誰とも関わりたくない」と言い続けていた寡黙(かもく)な人が、誰かが体調を崩して休みがちになると、「あの人、最近見かけないけどだいじょうぶなのかな」と下を向きながら心配し出したりします

▼花が咲き、変化が起きる

ことぶき町は、かつて不法投棄されたゴミにあふれた街だったそうです。

大量に持ちこまれてくるゴミに対して、2つの対策案が考えられました。
1つは、街中に監視カメラをつけて取り締まること。
もう1つは、プランターを置いて花いっぱいの街にすること。

予算がなく監視カメラは設置できず、「ことぶき花いっぱい運動」が始まりました。
そして、花いっぱいになった街には、ゴミが不法投棄されなくなりました。

ことぶき町の入り口にある吉浜町公園には、毎年春になるときれいな花が咲きます。
酒に飲まれて寝ているおじさんの横には、黙々と草を刈り、種を蒔くおじさんがいます。

「時間が止まった」かのように悲しむことすらできないほどの喪失をかかえてこの街に流れ着いた人にも、季節がめぐるくらいのゆっくりとした時間の中で、変化が起きます

今年も喪失の果ての街の公園にはきれいな花がきっと咲いて、ここにひとりたどり着いた人の心を、少しだけ軽くしてくれるだろうと想います。

 

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