うつ病と判断するには(医師)


「こころの元気+ 2016年4月号(110号)」より  
※「こころの元気+」とは?→コチラから

うつ病とバイオマーカー

国立精神・神経医療研究センター神経研究所 疾病研究第三部
功刀浩先生

バイオマーカーとは
 バイオマーカーとは、特定の病気の診断や分類、重症度などを推定することができる生物学的な指標(ものさし)のことです。
 たとえば、貧血という病気には息切れや疲れやすいなどの症状がありますが、そうした訴えだけでなく、赤血球の中のHb(ヘモグロビン…血色素)値を測定し、一定の値より低いことで診断されます。
 この値が低いと重症の貧血であり、輸血の必要性などの判断材料になります。つまり、Hb値は貧血の診断や重症度の目安となるバイオマーカーです。
 また、貧血はいろいろな原因で起こります。
 出血で鉄を失うことが原因となる「鉄欠乏性貧血」では、赤血球の大きさが全体的に小さくなります。しかし、ビタミンB12や葉酸が不足して起きる貧血は、逆に赤血球が大きくなります。
 従って赤血球の大きさを測定したMCV(平均赤血球容積)の値は、貧血の原因の分類に有効なバイオマーカーということになります。

うつ病のバイオマーカー
 では、うつ病の場合はどうでしょうか?
 うつ病の人の身体や脳の中でどのような生物学的な変化が起きているかということは、いまだに不明な部分が多いため、診断は患者さんの主観的訴え(気分が落ちこむとか、何をやっても楽しめない、眠れない、といった症状)にもとづいて行われています。
 従って、精神科の専門的なトレーニングを受けた精神科医でないと診断するのはむずかしく、かかりつけ医や健康診断でうつ病を早期発見できません。精神科医の診断も、医師によって診断が食い違うことがあり、診断が違えば治療法も変わってきます。

 重症度についても、患者さんの訴えにもとづいて精神科医が判断しています。
 うつ病の発症要因となる生物学的変化として、セロトニンやドーパミンの低下、ストレスホルモンの過剰、脳内炎症、栄養不足などさまざまな要因があると考えられています。
 しかし、うつ病を原因別に分類するバイオマーカーも今のところありません。
 治療においても、うつ病の薬物療法は、セロトニン再取りこみ阻害薬(SSRI)などが一律に使用されています。
 しかし、こうした現行の抗うつ薬が効かない患者さんも少なくないことはよく知られています。

 この現状を克服するためには原因を特定するバイオマーカーを発見し、そのバイオマーカーを目印として新しい治療薬を開発する必要があります。
 もちろん、うつ病のバイオマーカーについては世界中の研究者が一生懸命取り組んでいます。しかし、今のところ実用化されたものはありません。
 その理由の1つとして、これまでの研究の多くは患者さんの血液を調べるものがほとんどであったという問題があります。血液は脳と厳密に分けられており、脳内の生体物質の状態は、血液をみてもよくわからないという事実があるのです。
 それでは研究手段がないかというと、そんなことはありません。

生体物質を検査
 脳や脊髄は脳脊髄液という液体の中に浸っています。
 その脳脊髄液は、腰の背骨の部分に少し針を刺すことによって、採取することができます。
 この脳脊髄液は、脳内の生体物質を反映するのです。
 事実、2012年4月からアルツハイマー病の診断に非常に役立つバイオマーカーとして「タウ」というたんぱく質の検査が保険診療で使われるようになりました。ちなみに、このタウという物質は、血液にはまったく検出されないため、脳脊髄液を検査する必要があるのです。

 そこで、私たちも心の病気のバイオマーカーを見つけるために、脳脊髄液を用いた研究を行っています。これまでにのべ750人以上の方々(2016年4月時点)にご協力いただき、最先端の分析技術で検討しています。
 その結果、一部のうつ病患者では、脳脊髄液中のフィブリノーゲンというたんぱく質が異常に高いことをつきとめました。
 また、他の一部のうつ病患者では、脳脊髄液中のエタノールアミンという代謝物が減少していることも見つけました。
 現在、日本医療研究開発機構の委託を得て、実用化をめざした研究を進めています。
 これらのバイオマーカーが実用化されれば、診断に役立つだけでなく、フィブリノーゲンの作用を抑える薬の開発やエタノールアミンの減少を補充する新しい治療法につながり、従来の治療薬では効果がなかった人々の治療に役立つことでしょう。